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無常



もうろうとした意識の中で電話の呼び出し音がしていた。眠たいので電話に出るのはやめようと決め再び眠りにつくことにした。どれだけたっても鳴り止まない、しかたなく猿はベットから出て受話器をとった。電話の相手はつい二日前まで一緒だったUの女房であった。「Uが死んだと呟き」後は言葉にならず無言のままであった。

 Uはある地方都市のあるホームレスの集う有名な公園で自らその命を絶ったのであった。朝ホームレス仲間がそれに気づき警察に連絡をし、警察からUの女房に身元確認のため連絡が入ったのである。あるホームレス仲間の証言では、朝いつもの時間になっても彼の住処であったそのダンボールハウスから出てはこず、不審に思ったそのホームレス仲間がダンボールハウスを覗き込むとすでに冷たくなっていたという話である。その前の晩までUにそのような行為に出るような節は見当たらずいつものように振舞っていたらしい。肌身離さずもっていた女房、子供の写真とまだ有効期限の残っていた運転免許証で彼の身元はすぐに割り出せた。

 猿はUの女房からの電話を切るとこの無常の社会を呪った。あいつが最後に残せたものは肌身離さず、身につけていた家族の写真と遠い昔一緒に自動車学校に通って手に入れた青春の証である中型二輪と普通車の運転免許証。そして一生かかっても返せるはずのないマイホームのローンであったのかと。猿とUは奇妙にも、おなじ四月生まれのおなじ日に生まれていた。

 ふしぎとこの無二の親友の死に対する悲しみの涙が猿の目に訪れては来なかった。ただ、ただ。日本社会に対する憎しみだけが猿の心を支配していた。あいつはバブルのころ、世間体にふりまわされ、退職金までも計算に入れたもっとも高い買い物をしてしまった。しょっちゅうあいつの家にただ酒を飲みに行った。ほんとあたたかい家庭だったよ、ほんとよき父親であり、よき夫であったと思う。あいつはまいにち千円のタバコ賃を女房から受け取り会社に出勤していた。マイホームを手に入れてからは、パチンコ、マージャンもやめた。土、日曜日はごろ寝ばかりして昼過ぎ電話で誘ってくれた。飲食おうよ家で、それが一番金を使わずに暇つぶしができるんだ。土、日曜日のビール代だけは女房も許してくれるんだよ。Uの小学生になる娘が、「おじさんなんで、結婚しないの?なんで、ちゃんと働かないの?」と質問攻めで猿を困らせた、そのつどUの女房が助け船を出してくれた。

 彼女はすこし浪費癖があった。マイホームと引き換えに質素倹約を一方的に夫であるUにおしつけ、本人はわりと娘時代からの癖がぬけずに浪費しつづけているように猿の目には映った。それがU家にとり末期のころかなりの負担になっていたらしく、なんどとなくぼやいていたが、これ以上Uのタバコ賃をけずるわけにもいかず、これ以上切り詰めようのないところまできてもいた。バブル崩壊から幾年かの月日が流れ、残業代もへりつづけ、やがて0になり、それだけではすまされず、賃金カット、ボーナスカットに見舞われ内情は火の車であった。ちょうど私立の高等学校にルーズソックスをはいて通いはじめた娘の教育費などもまかなえず、女房が実家に用立ててもらいに行っていたようだ。

 Uの女房の実家も時をおなじころより、財政難に見舞われていた。彼女には六つ年上の兄がおり、父兄ともにエリート家庭であった。父は会社を定年退職寸前のところで、不幸にも自分の一生を捧げ、勤めあげてきた、絶対に倒産などするはずのない優良一部上場企業が突然の倒産という悲劇に見舞われていたところであった。労使、組合、債権者などが入り乱れ争った顛末は、全従業員への未払いである給料、社内貯金、社員持ち株、とどめに退職金までもすべての支払いの不履行が、確定したところであった。

 跡取り息子である兄夫婦にも容赦のない不況の波が襲いかかっていた。彼女の兄には私立の大学に通う十九の長女と私立高校をあと一年で卒業するはずのやはりルーズソックスの次女の二人の娘がいた。兄嫁は専業主婦であった。兄はある優良企業のエリート社員として活躍していたが、ある日いきなり謎の倒産をしてしまった。このある会社の倒産劇は大企業にさえ勤めていれば、倒産、リストラにも遭遇することがなく一生安泰という戦後の日本神話を根底からくつがえし、日本国中を震え上がらせた大事件であった。時はあの、ふさふさとした髪をポマードできめこみ。国民の前で、な〜に日本には千四百兆円の貯金があるからだいじょうぶだよ、あんしんしたまえ国民諸君とおおみえを切りビックバーン政策でおおごけをした、歴代首相のころである。

 猿はその倒産劇をテレビのニュースで知った。その記者会見で経営陣は報道陣の前で神妙な顔をしながら、「われわれ経営陣は一丸となって損失補填、その他もろもろの不正行為によって、会社のお金「株主様」をピンハネしてまいりましたが、もうピンハネするお金が会社になくなりましたので、会社潰します。社員には関係ありません、罪はないです、悪くはありません、すいませんでした。」と土下座していた。その光景を見てこれからU一家はどうなるのだろうと考えこんでしまっていた。

 親子ともにエリート一家であった安堵感と見栄で、先祖から受け継いだ土地以外にもその周りの土地を回収してさらに増やし、そこに御殿のような屋敷を新築してしまっていた。土地の回収、御殿の建築費はあまりにも巨額であったが、親子ともにエリートということもあり、父、子の二代ローンを活用し銀行から調達していた。

 バブル崩壊後の日本社会の激変さえなければじゅうぶんに余裕をもちながら返済、なおかつ平均以上のゆとりある生活が可能であった。Uの女房はこのような恵まれた家庭環境に生まれ育ったため、なんの不自由もなく、ほしいものはすべて与えられ、金銭的苦労、経済観念ゼロのまま育ってしまったお嬢さんであった。また親、兄も彼女にはとても甘く新婚当初から実家に頻繁に里帰りをしては、金の無心をしていた。

 かたやUの実家はまったくのぎゃくであった。彼の父親は呑み助の職人であり、稼いだ金はほとんど家庭に入れもせず酒代、パチンコなどの浪費に消え去る毎日がUの幼少のころからあたりまえのように続く家庭であった。そのため母親は内職、パート務めなどをくりかえす貧乏暇なしの苦労を続けてきた。

 Uの女房の実家までもが、このような状況に陥ってしまってからは、まったく救いようのないところまでU一家は追い込まれていた。せめてUの実家がまともであれば、まだなんとかなったかもしれないのだが、もともとがこんな状態であったためとても実家を当てにできるわけもなかった。

 Uには四つ年上の姉が一人いる。Uの姉は幼少のころよりとてもUに甘かった。彼女が高校を卒業して、社会人となり自分で稼ぐようになってからというものは、頻繁にUからの無心に答えていた。弟思いで出来のよい姉の愛をあたりまえのように与えられ続けながらUは成人してしまったといっても過言ではないほどであった。自分で稼ぐようになってからも、無計画な金銭感覚で月末には金欠となり、そのつど姉に無心をしていた。またオートバイをローンで購入時、頭金の不足分なども姉からの援助に頼った。さらに、本人の無謀な運転がもとで起こした事故の示談金、相手方の修理代なども姉の助けを受けていた。生活面でだらしのない父親を見ながら育ってきた賜物でUの姉はたいへんしっかりした女であった。こうなってしまっては最後のよりどころは姉しかいなかったが、さらにその姉にもバブル崩壊の不幸は容赦なく襲いかかっていた。

 その姉は嫁ぎ子供二人、夫の四人家族で、どこにでもいそうなごく平凡な主婦であった。やはりバブル期マイホームを夫の退職金までも当てこんだ長期ローンを利用し購入していた。そしてリストラの嵐は姉一家にも無縁ではなかった。姉の夫はマイホーム購入時、銀行のローン利用条件に従って高額の生命保険に強制加入させられていた。もちろんローン返済途中で死亡したときでも残りの残金を銀行が回収できるための保険であった。年々減り続ける残業手当、さらには賃金、ボーナスなどのカットにより、その高額の生命保険料の支払いがすごい負担になり払えきれなくなり、解約にいたってしまった。そして、そこにとどめを刺すかのようにリストラにちょうど見舞われ、姉一家のマイホームは銀行によって差し押さえられ競売にかけられていたが、地価の下落、建物自体の価値の目減り、当然だがそれだけではローンの返済は不可能であった。運悪く生命保険も解約してしまっていたために自殺さえできる状態ではなく、一家四人でUの実家に非難して借金取りの恐怖に震えあがる日々を耐えぬいていた。

 猿は小学校入学当時のころはひかくてき知能指数もたかく、帰宅後の予習、復習などの自宅学習をしなくてもわりとよい成績で通知表も五と四が多かった。生まれながらの未熟児であったため体力がなく、運動神経はにぶく体育だけは一であった。学校の授業で先生の話がうんよく耳に入ってきたものだけを確実に記憶するだけで、家での勉強はしたことがなかった。あまりめだつ存在ではなかったが、ちょっとかわってもいた。めぐまれた知能指数を使うことがなく、担任の先生がひんぱんに家庭訪問をしては母親に、猿の家庭学習にたいして、ああだ、こうだと注文をつけていた。「おたくの息子さんは知能指数がたかく、ちゃんと勉強をすれば将来有望であるが、ぜんぜんその気がなくほんとにもったいないかぎりです。ご両親からちゃんと勉強するように本人に説得してください。」という調子でせまってきた。

 三年生になったある日、あるいじめっ子から猿は原因不明のいじめにあった。そのいじめが、その時かぎりではすまされずその後えんえんと続きだした。そのいじめっ子から猿というあだ名をつけられたのであった。事実顔は猿によくにていた。三、四年といじめつづけられていた。そのころから猿は成績が落ちていきだしたのであった。もちろん毎日のように受けるいじめがもとで授業に身が入らず、精神不安定、情緒不安定に陥り、毎日学校に行きそのいじめっ子と顔をあわせれば必ずいじめられるのではないかという強迫観念に陥っていた。

 実際問題猿の受けたいじめはそうとうのものであった。例に挙げると筆箱に入っている何本もの鉛筆の芯を猿が放課中席を離れている間に机の引き出しからかってにとりだして、すべて芯を折られてしまっていた。毎日である。暴力も毎日ふるわれた。朝の登校時、各放課中、下校時猿の顔を見るたびに問答無用でビンタ、蹴り、拳、ちみくり、噛付き、髪の毛の引っ張りなどであった。給食中食べている食器の中に鼻水、唾液、ふけなども入れられた。また、猿、おまえよ、いじめられたくなかったら、あした100円もってこいと恐喝も受け、金を払わされてもつぎの日には、またいじめられ、また金を脅し取られるの繰り返しであった。

 そのうちほかの生徒もそれに感化され猿をいじめだしたのであった。またそのいじめっ子が、猿を皆で、いじめるように命令していた。そのいじめっ子は体格もよく腕力は中学生並みでもあり、だれも逆らうものはなかった。


 ある年、猿は中学にあがった。猿の中学校は、猿が卒業した小学校と他校の二つの小学校の卒業生で形成されてた

 新一年生になって、猿は果てしなく続いていたそのいじめから開放されたのであった。同学年のクラスメートの約4割は猿がいじめられ子であったことを知るわけがなかった。またいじめ子とはクラスも別であった。まさに猿にとってみれば、人生の転換期であった。

 新学期も四月のある日猿はふとしたことから、新聞配達をはじめた。夕刊だけであった。そこで見た世界が猿の人生において良い、悪いは別にして多大な影響をあたえたのであった。他の中学の二、三年生。その連中の中には番を張っているものもいた。また有名不良高校の生徒までもが働いていた。先輩配達員により、猿はまずタバコの味からおぼえていった。

 喧嘩、カツアゲ、万引、新聞配達で稼いだ金で、IBフアッションなど否が応でも先輩たちから教えられていった。五月に入り初夏の日差しを感じるころには、一端の不良になっていた。

 ある日猿はいじめっ子への復讐を実行した。タイマンでは勝てないことを知っているので、先輩配達員をバックに使い、人気の少ない神社にいじめっ子を呼び出して袋叩き「どんぶり」にしたのであった。その後、とくにいじめられた度合いの高い連中をもかたっぱしから復讐していった。まさにいじめられ子がいじめっ子へと変貌を遂げたのであった。「ある書物などに書かれている、いじめ被害者は何時の日にか加害者に変わっていくものである」が実証されたのであった。猿が復讐を遂げ終わったころ、Uがその新聞屋に入ってきた。

 二年生にあがったある日、猿から復讐を受けたいじめっ子は、猿とは違う新聞屋で配達をはじめた。その目的は、猿に復讐をし返すためであった。そのいじめっ子の思惑は成功し、猿がしたのと同じ方法で実行された。これで五分五分となり、その後単車、車と暴走族時代の十代最後の歳まで二人の確執は続いていった。


 中学を卒業したその年の初夏、猿は通称「サンパチ」ツーサイクルサン気筒四本マフラー「三百八十cc」のバイクのタンクを白色に塗り替え、両端に緑のラインを入れたバイクを乗り回していた。猿が中型二輪免許を取れる年齢に達するわずか二年前、自動二輪の免許制度は小型と大型しかなかった。猿も十六歳になったらすぐ、「ナナハン」七百五十ccを乗り回す夢を見ていた。が暴走族が社会問題化しいて世間の見る目が厳しくなったので当局は、その間に中型の限定を設けた。そしてそれを限定解除しようと思えば、試験場に行き何十回試験を受けてもけして合格することのない、日本一難しい国家試験になってしまった。ナナハンを合法的に乗るのは事実上不可能になり、サンパチが暴走族の間では大人気であった。

 夏のある日、猿とUはある街の有名なナンパ通りまで、サンパチで出かけた。アクセルを空吹かし、しながらきょろきょろと手ごろな女を物色しながら徐行運転していた。芯をくりぬかれた四本のマフラーから、金属的な騒音がばら撒かれていたその時「そこの二台のオートバイはただちに停車しないさい」という声がスピーカーから流れてきた。猿とUはやばい、パトカーだと目で合図をしあった。

 パトカーが猿とUのサンパチの前に立ちふさがり停車させられた。パトカーから降りてきた警官二人はすばやく2台のサンパチのキーを抜き去った。道路脇まで2台のサンパチを移動させ終えると、職務質問がはじまった。二人ともノーヘルメットであったため反則キップを切られた。そしてマフラーの芯がないことを口実にさんざんと説教され、身体検査中タバコと学生証明書がでてきた。

 警官とのやりとりの最中周りの野次馬たちがニヤニヤ笑いながら見ていた。その中に一人だけ同情的なまなざしで見つめていた女子高生がいた。かなり意識しているように猿には思えた。

 警官二人は一方的に調書を作成して、二人に指紋捺印させると「これで今日のノルマは達成できた。二人ともありがとうよとでもいいたそうな」顔つきでパトカーに乗ってどこかに消え去って行った。やれやれという心境で猿とUは近くの自動販売機でマイルドセブンを買うとタバコに火を点けおもいっきり吸いこんだ。消え去って行った警官たちが二人のタバコは没収していた。

 同情的なまなざしで見つめていた女子高生はあいかわらず猿とUを観察していた。猿は、これは脈ありだなと、声をかけた。
 近くの喫茶店にその女子高生を誘い猿とUはどうしたらモノになるかな?という陰謀を秘めながら馬鹿話に花を咲かせていたその時。いじめっ子が店に入ってくるなり、「おお、ひさしぶり。さっき見ていたよ」といいながらおなじテーブルにすわりこんだ。

 いじめっ子は俺のアパートに四人でこない?といった。猿とUはいじめっ子を嫌っていたが、親元からはなれ一人暮らししているのはいじめっ子だけでもあり、また陰謀の名による目的は三人とも当然同じであるためしぶしぶと合意した。


 その女子高生は猿のサンパチの後ろに乗せた。いじめっ子のバイクもあわせ三台のサンパチはいじめっ子のアパートへと向かった。

 日は沈み暗くなりはじめたころ、六畳一間のいじめっ子の部屋で四人はインスタントラーメンだけの質素な晩飯を食べていた。質素な晩飯を食べ終え馬鹿話をしていると、いじめっ子が押入れの中から「カラーコーク」「有機溶剤」を出してきた。猿、U、いじめっ子の三人はそれをビニール袋に入れ吸いだした。かなりラリッテきたころ、その女子高生にも勧めた。その女子高生はなんのためらいもなく吸ってのけた。

 有機溶剤遊びは朝方までつづき、三人の少年は童貞を一人の少女は処女を失った。やがて朝が訪れ、その少女を猿が自宅付近まで送っていた。自宅付近に到着すると猿はちゃっかりとその女子高生の電話番号を聞きだし、自宅の所在場所を知るため、その女子高生が自宅の玄関をくぐるまで目で見送ると再びいじめっ子のアパートへと戻っていった。

 いじめっ子の部屋に戻ると猿は、「あのこから伝言があるんだ。いい思い出だったけど、もう俺たちには会いたくないといってたよ」と三人に嘘をついた。

 ある日の朝の出来事であった。猿が教室で居眠りをしていると、生活指導の教師が教室にやってきた。「猿、今から校長室にいきなさい」というとすぐに教室からでていった。猿が校長室に到着するとUが先に呼びだされていた。

 「おお猿君待っていたよ。二人ともなぜ呼びだされたか、わかっているだろうね?」ときりだした。Uが「さあ、心当たりがありません」というと、「では猿君は何か心当たりがあるんじゃないかな?」と問い詰めた。猿はしらばくれてもしょうがないと判断した。「はい、三日前ナンパ通りでオートバイのノーヘルメット運転とタバコで警察に捕まりました」と打ち明けた。

 「二人とも当校が自動二輪車の免許証取得を禁止しているという校則を知らないわけではないよね」それとタバコも、もちろんのこと。「君たち二人に免許証を卒業まで学校に預けてもらうか、嫌なら退学するか?のどちらかに決めてもらわないと学校側としても困るんだがね」と迫られた。

 一ヶ月が経とうとしていたころ、猿は親のコネで地元の上場企業のT社に、Uは町内会会長の慈悲により、やはり地元上場企業のP社に工員として途中入社していた。仕事自体は過酷で退屈な流れ作業であったが、上場企業ということもあり、我慢して仕事さえしていれば、首になることもなく将来安泰と二人の両親たちは喜んだ。

 仕事もなんとか慣れたある日、猿はその女子高生を誘ってみた。以外にもその誘いにかんたんにのってきた。毎週のように土曜日になると下校時をみはからいその女子高生の学校の校門まで迎えいに行き、その女子高生の広大な敷地に囲まれた屋敷まで一度、送りつけたあと近くの喫茶店でその女子高生が着替えをすませもどってくるまで漫画本を読みながら時間をつぶす。その後夜までサンパチの後ろに乗せ市内をてきとうに暴走したあと、ラブホテルに泊まりこみ、つぎの日の夕方再び自宅まで送りとどけるというのが日課になった。

 冬のある日猿はその女子高生をサンパチの後ろに乗せ海辺を暴走していた。「たまらんな。この寒さで女はぴった〜と体をすり寄せてきている。おれの背中に女の胸が、おれの尻に女の股座が真綿のように絡みついてくる。」そんなことを考えながら夢うつつで運転をしていた。「この女は育ちがいい。金も気前よくだしてくれる。しかもあつかいやすくて従順だ。こんな都合のいい女はまずほかにいないだろうな?しばらく絶対に手放さないでおこう」とますます猿の妄想はふくらんでいった。

 革ジャンパーを破り、身を切るような真冬の風が吹き荒れ狂いだした夕刻時、約束の時間をすこしすぎたころ、ある港町に到着した。すでに五十台ほどのバイクと百人ほどの人垣でごったがえしていた。アクセルを目一杯空ぶかしする者、前輪を宙に浮かせ後輪だけの一輪走行でどれだけ走れるかを競い合う者、三連ホーンを鳴らしぱなして景気つけをしている者、チームの旗を持ち高々と振上げる者、ビニール袋になにやら入れ吸引している者など、真冬の風をものともせず、熱気ムンムンであった。猿がサンパチを停止させ、顔見知りのところに駆け寄ろうとしたその時「おい、おまえ、遅いぞ。時間厳守」とだれかがわめきだした。「だれが、だれに対して話しかけているのだろう?と考えていると、顔見知りが駆けつけてきた。猿とわめいている男の間に割って入り、「猿この人がリーダーだ」と告げた。猿はわめいていた男に「はじめまして、猿です。遅くなりまして申し訳ありません」といちよう謝罪した。「おまえ、いい女を連れてるな、おれにまわせ」と笑いながら叫んだ。「死んでも嫌です。絶対に」とその女子校生がリーダーを睨み付けながらきっぱりと断った。「おお、顔に似合わずきつい女だな。はははは」とリーダーが笑いその場はおさまった。

 「いいか、皆。先週、Mナンバーの連中におれのかわいい後輩が袋叩きにあわされ、バイクはカツアゲされた。Nナンバの根性をMナンバーのやつらに見せつけてやれ。びびるんじゃないぞ、、、それから、気が強くいい女連れてる、、おまえ、、猿だったな。女の顔に免じて、今日から正式にチームに入れてやる、、ありがたく思えよ」と叫んだ。

 沈黙の時が全員に流れていた時「おい、猿、、おれだよ、、」とだれかが、囁いた。Uであった。「おまえな、、なんで隠してたんだよ。おれたちにはもう、会いたくなかったんじゃなかったのか?その女」猿はばつがわるく返す言葉がなかった。「そのことはあとで詳しくはなすよ。それよりどうする?「リーダー、、Mナンバーの連中と」やる気だぞ。「おれは嫌だよ、他人のまきぞえ食うのはさ」とすかさずその場を取り繕った。「じゃ〜どうする?猿」と考えこんだ。「簡単だよ、、そんなの。どさくさにまぎれて逃げればいいよ。そのうちほとぼりがさめるまでここに顔出さなけりゃいい」猿おまえというやつは、ほんとにずる賢いやつだな」と感心した。「いいよ、、無理には誘わないよ、、逃げるの嫌ならやれよ、、おれは逃げるからな」

 目を瞑り考えこんでいたリーダーが「出発」と叫ぶと、五十台のバイクは一斉にアクセルを吹かし、三連ホーンの金属音とともに走り出した。

 狭い県道を百メートルほどの列を作り、蛇行運転を繰り返しながら、その一団は暴走していた。赤信号の交差点の直前で、3連を鳴らし、特攻隊長がまず、交差点に突っ込み、青信号で走ってくる車の群れを無理やりに停車させてしまっていた。そこを後ろに乗っている者が、旗を掲げて一斉に走りすぎて行った。「ウーウー、、ウーウー。そこの暴走族全員止まりなさい。繰り返す、、そこの暴走族全員止まりなさい」パトカーであった。

 はるか彼方の先頭で異変が起きていた。急に一団は速度を緩めだした。「そこの暴走族止まりなさい」とパトカーも速度を落とし、しゃべり続けていた。その時急に列の先頭が脇道に外れて走り出した。皆後について行ったが、数台だけが、路肩よりに、速度を落としたまま皆に追い抜かれていった。猿とUはいざという時に逃げ出すために後方を走っていた。猿とUにも追い越された数台は列の最後尾になると、なにやらパトカーのフロントガラス目がけて投げつけた。バリ、バリとフロントガラスの割れる音が後方から聞こえてきた。殿隊であった。

 外灯一つない峠越えの山道の草むらの中エンジンを止め皆、息を潜め全員そろうのをまっていた。殿隊が到着すると、リーダーが全員の安否を確認しはじめた。全員無事であった。リーダーが叫んだ「この先の橋を渡ればM市だ、、全員気合を入れてかかれよ、、いいな」再び一団は走り出した。

 一団は橋を渡り山道を走り続けていた。M市街まであと一キロという標識を通り越そうとした時、前方から、M市の一団が走ってきのが目についた。

 先頭あたりではすでに、乱闘が始まっていた。猿は来た道を静かに引き返して行っ。Uもやはり猿とおなじ道を選んだ。

 17歳になったある初夏の日のことであった。猿はあいかわらず、その女子高生を土曜日になると学校の校門まで迎えに行っては、一度屋敷まで送り、着替えが終わるまで喫茶店で待つ日課をつづけていた。相手の両親が娘の行動に不審を抱き始めていた。その女子高生も猿との関係を隠しきれないところまできていた。「従順で金払いもよく、都合のいい、便利な女のはずなのだが、その従順な存在が猿にはこのところなんだか、めんどくさくてうっとおしい存在に思えてきていた。「じゃじゃ馬馴らし、がしてみたいな。思いどおりにならない女を口説いてみたいな」喫茶店でその女子高生を待っている間そんなことを猿は考えていた。

 ある日の夜、猿は連れの安アパートの前にサンパチを停め、その連れとやぼようで外出していた。その連れの安アパートに深夜戻るとなんと、、サンパチがなかった。盗難にあったのであった。いちよう警察に被害届けは出したが戻ってくろことはなかった。

 ある日の土曜日猿は電車で、その女子高生をいつも待つ喫茶店に出かけた。「たいへんだったね。バイク盗まれちゃって」となぐさめの声をかえけてくれた。「ためしてやれ、、と猿はひらめき。中古でね、十五万円でいいサンパチがあるんだけどね。金がないんだよ。おまえ立て替えておいてくれないか?」といったあと、いや冗談だよ、、なにもきかなかったことにしてくれよ。「う〜ん。ちょっと待っててねすぐ戻る」といい屋敷に戻って行った。三十分もするとその女子高生は戻ってきた。「はい十五万円」といってポケットからだして、テーブルの上に置いた。「おまえ、、まさか?」と猿がびっくりして問いただすと「えへ〜箪笥の中のねお母さんのへそくりをね、、しっけいしちゃった」と笑っていた。

 ある日の夜、猿とUはスナックで飲んでいた。あの、ある港町の暴走の件でその女子高生との抜け駆けがばれてしまい、仲違い状況がつづいていたが、なんとか和睦しようと集まったのであった。「おい、猿あの新しく買いなおしたサンパチの金、、あの女が出したんだってね。いいな、おまえよ惚れられていて。実はおれ、いじめっ子のアパートで童貞きって以来、あの女のことが忘れられなかったんだ。いまでもそうだよ」と寂しそうに呟いていた。 「それがあまりにも従順すぎて最近飽きてきてるんだ。しかも十五万円出させたことが、重荷になってきてるし、毎週、毎週あの女の顔見るのは辛いものがあるんだよ。なんならあの女おまえにまわそうか?」と猿は胸の中で思ったが、さすがに口にだしていえることではなかった。「おれ今免停中なんだ、、こないだスピード違反でつかまってね、点数がかさんでさ90日免停になったよ」とUは最後に呟いた。

 夏の終わりのある日の夜、Uとの仲違いも解けた猿は、その女子高生も連れて二台のサンパチで市内を暴走していた。「Uはまだ免停中であった」

 狭い裏道をUが先頭に走っていた。猿が続いていた。四つ角の信号機が黄色に変わろうとしていた。当然Uもそのまま走り抜けるだろうと思った猿はそのままのスピードであったが、珍しくか、偶然かUが止まってしまった。猿は急ブレーキをかけたが、間に合うはずもなく、そのまま前輪がUの右足首にぶつかり猿のサンパチは止まった。

 「痛いよ、痛いよ。病院に連れて行ってくれよ。でも救急車は呼ぶなよ、、おれ免停中だからさ、それと警察もな」とのたうちまわりながら叫んでいた。その女子高生をその場に残して猿はUを後ろに乗せて近くの緊急病院に運んだ。全治二ヵ月の右足首複雑骨折であった。

 猿はUに対してすごく重い負い目を追ってしました。毎日仕事帰りに病室に見舞った。毎週土、日はその女子高生も病室にUを見舞うようになった。Uは猿に対してなんの謝罪も保障も求めなかった。猿が加害者であることすら、なかったかのように振舞った。その女子高生が見舞いに来た時のUのうれしそうな顔といったらなかった。まるでよちよち歩きの赤子が母親に抱かれる時のように無邪気で純粋無垢な顔つきであった。

 二ヵ月後、Uが何とか歩けるようになり、退院した。退院祝いとして、猿、その女子高生とUの三人はスナックで飲んでいた。猿とUとの事故へのわだかまりはなにもなかった。Uは上機嫌であった。その女子高生がいっしょだからである。「そのUの気持ちがわかればわかるほど猿の胸は痛んだ」猿は思った「こいつ可哀想に、、そんなにこの女に惚れているなら、あの朝、いじめっ子の部屋から、その女子高生を送っていく時、、なぜ、、おれに送らせてくれよといわなかったのか。おれも、いじめっ子もたんなる遊びだったのに」と悔やまれてならなかった。

 「猿はいいかげん、この従順な、ちょう掘り出し物の、この女という存在が、負担であり、息苦しくもあり、またうっとおしい存在になりかわっていた。」ただ、これまでづるづると続いたのは、あの十五万円という大金を母親のへそくりからくすねてまでも、よくしてくれたことと、その女子高生を捨て去っても、つぎの女の当てがなかっただけであったかもしれない。いや、猿にとって、筆おろしをさせてくれた女という特別なしがらみの部分が一番の比重であってもけしておかしくはなかった。

 「猿はこの女をUにまわしたほうが、Uにもおれにも、その女子高生のためにもいいに違いないと決心した。」一度決意が定まると猿に迷いはなかった。「おれちょっと、、そとの空気を吸ってくるよ」といい、猿はそのまま退院祝いの相手の親友と自分の女をほったらかして、帰ってしまった。帰る帰路、その女子高生からプレゼントされた、サンパチを運転しながら、「なにがあっても、、居留守を使い続けても、、冷たい男と、鬼畜と思われようが、憎まれようが、、あの女とは二度と会わないでおこう。そしてUともしばらく会わないほうがいい」と心に刻んだ。

 翌年の4月、猿は友人の結婚式に出席していた。新郎はU、新婦はその女子高生であった。その式中、猿は心の中で呟いた「しまった。もったいないことをした。逃がした魚は大きかった」と、なぜなら、、この式は新婦だけが目立った。広大な敷地に囲まれた大きな屋敷に住む良家のお嬢さんだけに、それは、それは、盛大なる結婚式であった。

 後悔の念に囚われ続けていた猿はせっかく、親のコネで入った上場企業をあっさりと辞めてしまった。第二のその女子高生を探し続けるため、テキヤの道に身を任せ日本全国をあるきまわることにした。

 幾年かの月日が流れたある日、自分自身に放浪癖があることを見抜いた猿は、海外へと旅立った。

 海外放浪でさらに幾年かの月日が流れていたある日、猿は帰国した。U夫妻が懐かしく思い猿は、ある日、思いきってU夫妻のマイホームを訪ねることにした。浦島太郎の猿からしてみれば、想像も絶するこの世の変わりようであった。暖かく猿を迎え入れてくれたU夫妻の家庭も否が応でも無常な世間の流れに巻き込まれていった。

 ある日電話が鳴った。「あれからUはリストラに遭い。なんとか、最後の力をふりしぼり、頑張ろうと一度は思ったが、娘がUのパンツを箸で摘み、洗濯機にほうりこむ瞬間を見たとたん、すべてが嫌になり、自分の死と引き換えに、マイホームの借金を清算する気で蒸発してしまった」U婦人からであった。「とにかく、すぐに会いたい。どうしていいかわからない」とのこであった。U婦人はげっそりとやせ衰え、涙も枯れ果てそこを尽いていた。事の成り行きで、猿とU婦人はホテルの一室へと入った。そして何十年ぶりかに、交わってしまった。そうでもしないと、U婦人は不安で不安で自分自身がわからなくなってしまいそうだったからであった。朝、猿は「娘さんも待ってることだし、とにかく帰れ、、これは命令だ」と冷たく突き放すしかなかった。U婦人もそれはわかっていた。「最初から最後まであんたは身勝手な人。たった今はじめてあんたを憎んだわ、、憎んでも憎みきれないけど」といって、その女子高生は娘の待つマイホームに帰って行った。猿はその女子高生の後ろ姿を見送り「ああ、、逃がした魚は大きかった。こんなはずじゃ〜なかった」と呟いた

 遠い昔の、いじめっ子の部屋での出来事が脳裏を過ぎったら、、猿の目から涙が流れ続けていた。