タイ>クーデターー前夜祭


2006年3月6日「タイ暦2459年」未明バンコックの超有名なカオサンロード外れのある安宿の嘆きのベランダにて酒盛りをしていた。前日の夕方から群集の甲高い声とともにデモ集会が開始された。王宮前広場から開始された集会は、何万の群集を飲み込みながら民主記念塔に向かい突き進んで来た。

宿泊している嘆きのベランダからは目と鼻の先であった。前日の夕刻より開始された集会は、日付が変わった未明より最高潮に達していた。すごい盛り上がりようであった。

嘆きのべランダで酒盛りをしてたい私をそのまま民主記念塔に向かわした。そうだ、デジカメももっていくか?群集の積もりに積もった、フラストレーションの凄まじいテンションに魅了されて私はふと我に気付くと、デジカメを首からぶら下げて民主記念塔通りに到着していた。

東京ドーム何個分の人間がいるのだろうか?王宮前広場から、民主記念塔までは、約2キロほどだが、両側8車線の道も歩道も群集で埋め尽くされていた。

「オークパイ オークパイ」の合言葉を反復しながら、渋滞と停滞により歩行不可能に成り果てた8車線の大道りで群集はデモを繰り広げていた。日本語に訳せば。。「出てけ。。国を民族の魂を売る売国奴はタイから出て行け!!」

群集が罵り罵声を浴びせている対象は時のタイ国首相タクシンであった。

思えばあの時の群集の叫びこそが2006/9/19 に起きた軍事クーデターの前夜祭であった。

事の発端は下記の様でありました。

前夜祭の少し前。イギリスからタイマスコミへやの一連のリークから火種は燃え広がり、やがて大火事となり自分の身を焦がしてしまったそうな。

なんでもイギリス領のマン島とか「タックスヘブン」のある銀行から、タクシン首相当時の隠し口座が発覚しました。推定総額は日本円にして何百億円とのことでした。この隠し資産の内訳は、大実業家から政界に躍り出て、金の力に物を言わせ首相の座へ。金と権力を欲しいままに、やりたい放題。国家私物化の毎日。

自分の一族と側近以外のすべての勢力、果ては王室、国王までのすべてから嫌われまくっていました。現役の首相でありながら、莫大な自社株を保有して実業家との二束の草鞋を履く毎日。反対勢力から抵抗勢力。果ては、都市部の一般住民までもが大変怒っておりました。

そこで、シンガポールのリクワンユー前首相一族のファミリー会社に自己保有の自社株を大量に売却しました。それで表向きは、経営の一線から手を引き政治家一本て、パファーマンスを取りました。そしてその売却したお金をマン島の銀行へ隠しました。もちろんすべて脱税だったそうな。

事が発覚する以前から「タイの経済新聞社プーチャッカン」日本で言えば、日本経済新聞の社主がそれはそれは、タクシン当時首相と仲が悪かったそうな。でプーチャカンの社主が、あちらこちらの、広場で自費、自主反タクシン運動をひっそりとしていたそうな。

そこに振って沸いた脱税スキャンダルがキタワァ━━(n‘∀‘)η━━ !!!!!てなわけで、今までじーと我慢の子であった反対勢力、抵抗勢力、反対バンコック子などが、乗かかり、しがみつき、火達磨は大きくなり、前夜祭に成長していったそうな。


































私のつたないタイ語で和訳してみましょう。
逮捕状
食べているだけが仕事のタクシン囚人
罪状
国売り。国家、国民を欺いた罪
判決
国外追放。資産差し押さえ















ちと和訳してみましょうね
国売り。土地売り
国家、国民の財産売り及び土地を売り書いてはないけど「シンガポールに。。
国外に出てけ!!書いてはないけどもシンガポールに















かるく訳しましょう
売国奴は追放