@逞しい女
80年代 その日本の女は久美子ハウスに男一人と流れ着いてきた。挨拶を交わした瞬間、お腹が大きいことに気付ました。
真っ黒に日焼けしており、髪は長く、何処となく暗く、悲しい過去を引きずっているようでありました。旅先で知り合ってのことなのか、日本からの付き合いなのかは、分からなかったが、どちらにしても目出度いことには変わりなく、なぜそんなに暗く悲しい表情をする必要があるのか理解しかねました。
暇にまかせ観察していると、その女は男に対して、召使のように接していました。男はその女に命令され尽くすことに喜びを感じているようでもありました。おや待てよ、その女のお腹の中の子は、この二人の間の子ではないのではと、思うようになってきたのですが、やはりそうでありました。
その夜それは、本人の口からあきらかになりました。その女はもうインドを1年以上旅しているらしく、初めての海外旅行でインド。その女はある日、旅先のある所で、像使いの男と恋に落ちてしまいました。
目出度くも、その像使いの男との間に、愛の結晶である、赤ちゃんができてしまいました。さんざん迷ったそうですが、お腹の子を出産して育てることを決意したのでありました。
彼女はタイで生むことに決め、タイに戻る途中に久美子ハウスに立ち寄ったのでありました。一緒にいる男とは、その途中に知り合い、事情を知ったその男は、一肌脱ぐ決意を固め彼女を無事タイに連れて行く、親衛隊でありました。
A文化的差異の狭間の中で
90年代初頭 ある日の真夜中パラゴンの屋上でボンをしていると、物凄い悲鳴が何処からともなく聞こえてきた。地べたの下から地響きを伴った振動が伝わってきて、地震でもおきたのかと思った。
その物凄い悲鳴は鳴り止むことはなく、延々と続いた。パラゴンの住人が全員飛びおき屋上にあがってきた。付近のインド人も外に飛びでてきた。周りの建物から次々と消えた明かりが点きはじめた。警官まで駆けつけてきた。
パラゴン周辺は人集りの山と化した。その悲鳴はパラゴンからではなさそうであったが、原因は不明であった。次の日の朝、朝飯を食べに外にでると、マザーテレサでボランテアーをしているという日本女性が、「昨夜モダンロッヂで日本の女の子がおかしくなってしまい、自殺未遂をしてしまった。西洋人の男二人と一緒に旅をしているらしく、警察ザタになるのを恐れ、彼女を医者にも領事館にも連れていこうとしないらしい。彼らを説得してもだめなので、一緒にモダンロジまでついてきてほしい」ということであった。
なんだか、朝から、嫌な気分になり、できれば、その場から逃げだしたかったのだが、だれに頼んでも逃げられてしまい、困っていると泣きつかれてしまった。
しかたなく、ボランテアーお姉さんとモダンロッジ2階の事件部屋に行った。ベット3つの3人部屋で、右手を血に染まった、汚らしい包帯でぐるぐる巻きにされ、一目で異常とわかる表情、焦点の定まらない瞳。とても、言葉では言い表せない状況でした。
ホテルのオーナーも「日本領事館に連れて行ってくれないか、彼らが大丈夫だと言い張り、断固として彼女を外にはだしたがらないんだよ」と泣きついてきた。事実彼ら二人は彼女を監禁して外にだそうとしないように、だれの目から見ても、明白であった。右手の平をアーミーナイフで深く切り刻んでいた。
ボランテアーお姉さんも困惑していた。さすがに気の毒に思いボランテアーお姉さんに、今から下に降りて、タクシーを掴まえホテルの下まで連れてくるよう頼んだ。
宿のオーナーにも一働きしてもらい、強引にその女の子を外へと連れだした。ボランテアーお姉さんは、タクシーを確保して、待っていた。そのまま日本領事館に連れて行き、あとは領事館員におまかせした。
その後、領事館の計らいで、その女の子を入院させ、父親を日本から呼びよせたそうな。父親との再会は悲しいものであったそうな。「なぜ、ここに、パパが、いるの?」が病院で再開した時の娘の言葉だったそうな。
聞けば西洋人の男二人と三人で2年近く旅を続けていたそうな。
文化の違いなのか、言語の障害なのか、あるいは精神構造の違いなのか。西洋社会では、子が、3歳にもなると、子供部屋を与え自立の道へと進ませる。親と子は対立関係にあり、親は子を突き放す。一方日本はというと、できるかぎり親は子を自分の手元におこうと、溺愛する。両者が成人に至った時点で、前者は自我と自己をすでに形成し終わっているのに対して、後者の方は、個人差があるが、自我と自己開発の形成的部分においては、未発達のままに成人してしまうことが、ごく普通のように多いと思われる。もちろん私もその内の一人なのだろうが?
B能力のある女ほどインドの土に馴染むものかも
1988年11月のある寝つきの悪い日の夜パラゴンの屋上で不思議な光景を見た。一人でボンをしたくなり屋上に上がった。色の黒い20代後半の日本の女が壁にもたれ数人の日本の男がその色の黒い女を輪で囲む形で一つのグループを形成していた。なんとなく関わりあいたくない雰囲気であったので反対方向の壁際に非難した。
もうかなり遅い時間であったので夕暮れ時になると聞こえてくる笛売りの吹く笛の音もなく猿のような好奇心で近寄り馴れ馴れしく話し掛けて来る従業員の姿も無かった。
一人ボンをきめて物思いに耽っていると色の黒い20代前半の日本の女のグループの会話が嫌でも聞こえて来た。「奴隷1ジョイントをお作り」「はい女王様」「奴隷2明日の朝私のトーストとチャイを買ってきておくれ分かったね?」「はい女王様」「奴隷3明日昼過ぎ動物園に行きたいから私のお供をするんだよいいね?」「はい女王様」
何やらそのグループはボンを回し飲みしながらこんな会話を楽しんでいた。インドのカルカッタの安宿の屋上で一人物思いに耽りストーンしている最中にこのような会話はとても重く感じた。できればこの場から消え去って欲しいと思った。まさかインド界隈にまで来てまで、このようなノリ、ノリ行為がとても異常に感じられた。やるせない気持ちをどこにも持っていくことが出来ずブルーな気持ちに包まれていたまさにその時その日本の色の黒い女は私に話しかけてきた。
「そこのお兄さんこちらに来て一緒に吸いませんか。」私は取り巻きの男達に怒りを感じつい言ってしまった。「君達国内でなら何をしようが勝ってだがここまで来て何でくだらない。そこまでその女に跪く必要があるのかね?恥ずかしいと思わないのかね?君たちは日本からその女と一緒に付いてきた僕でもあるのかね。俺ははっきり言って情けないよ日本男児として」と言ってしまった。
男たちは無言のままであった。その女は「お兄さん粋が好いんですねとにかくそれでは話になりませんのでこちらに来てくださいお願いします」と言った。怒る気持ちを抑えとにかく行ってみた。その女は「奴隷1このお兄さんにジョイントをお渡し」「あの私の横に来て下さい」と言った。
渡されたジョイントはハッシーシでかなり上物であった。やっぱ人は現金なもので、現物すすめられると今ままでの怒りはどこかにすっ飛んでいた。やがて彼女から身の上話を始めた。
「私は生まれて初めて男から叱られたような気がします。物心ついて以来私に面と向かって怒りを露にした男はお兄さんが初めてです。今まで私が生きて来た世界の男は全て私に媚びて来ました。私は周りの男に先生と呼ばれることはあっても面と向かって叱責、非難など受けたことがありませんでした。」
彼女の話を要約すると当時彼女は27歳。幼き頃から漫画家としての才能に恵まれ名の売れた漫画家であった。自尊心が強く幼少の頃から男をあごで使うことを覚え漫画家としてデビューして以来出版社の男が僕のように自分に対して接してきた。恋愛適齢期に至ってからも自分の生きている世界の中の男はただ跪くだけの能無しの物体にしか見えなかったらしい。
自分よりも才能、能力のある男しか愛すことが出来ない悩みに囚われ、そのような男の出現を願い待ち続けてきたが縁に恵まれず27歳まで至ったのであった。
地位、名誉、収入に関しては何不自由無い人生を送ってはきたが何か満たされない衝動に囚われて、去年一人生まれてはじめての海外旅行にインドを選んだ。その時旅先で、あるインドの男と出逢い好きになった。その時はそのまま一度帰国した。
その時の自分の気持ちが真実かどうかを確かめるため取り巻き連を従え今年再びインドの土を踏んだらしい。男を愛したことも愛されたことも無く27年間の人生を過してきて、異性とはまったくの無縁のままに接吻する機械にも巡りあえず処女のままであったのである。
今年再びその男と再会を果たした。その40歳になる男と27歳にして女なることができた。そしてその男と結婚を決意、結婚式を日本で挙げる段取りのため帰国直前であった。結婚式は自分の自尊心に懸けても最大限の人脈を駆使して自分の業界でも最大限にするつもりであった。
最後別れ際にその日本の色の黒い女は「お兄さん、、、、ブツブツブツ」小声でなにか言ったようであったが私は聞こえないフリをして自分のドミトリーにもどった。
Cみどりさん伝説
1992年プリーであの伝説のみどりさんを知っているという人に出会った。
1986年初めての一人旅でカルカッタに着いていきなり聞かされたのがみどりさん伝説でありました。その後何処に居てもドミトリーでボンをしながら誰かが必ず口にして盛り上がったのでありますが1992年まで何度インドに行ってもこれと言った決め手になるような材料には貧しい物でありました。
1992年プーリーで何と生のみどりさんを知っており実存の人物であると語ったある日本人女性と知り合いました。その日本女性の話はこのような物でありました。
@みどりさん1980年代前半生まれて初めての海外旅行でネパールに来た当初、おかっぱ頭の笑うと笑窪の可愛い純粋無垢の女の子だったらしいのです。しかしある日あるネパーリーの男とカトマンズで恋に落ちてしまいました。しかしその恋は実ることなく果かなくも崩れ落ちそれが原因で深く傷つきその後人が変わり日本に帰るに帰れず奈落の底に落ち込み金も底を尽きそのおかっぱ頭の可愛い笑窪の純粋無垢な面影は見る見るうちに失われて行ったそうな。
そして何時からか春を売る女に変貌を遂げたそうな。ある日その日本女性がカトマンズで外出先からゲストハウスのドミトリーに戻ると、ちょうど白人相手にお仕事のま最中であったらしく見る気はないが一部始終をみたそうな。そしてみどりさんは悪びれた様子も見せず平然としていたそうな。
Aそして何年か経ったある日カルカッタのあるホテルで偶然にも再会したそうな。その時居合わせた日本人に私と楽しみたければ今夜私の部屋までどうぞご自由にと誘ったそうな。そして夜が来てみどりさんの部屋の前にその日その場に居合わせた男たちが整理券を握り締めて自分の番は未だかと首を長くして列を作っていそうな。
Bホテルつぶしちゃった伝説
ネパールで泊まっていたある安宿で、皆が外出中そのホテルのオーナー、従業員を誘いこみ事務所で楽しんでいたそうな。そして外出先からドミトリーに戻ったある日本人が何やら異常に気付いたそうな。別に覗いたわけではないがいやでも聞こえてくる異音その部屋から微かに見える複数の密着して動き続ける光景。その日本人はまさかみどりさんが自分から進んでとは思ってもみずこれはレイプに違いないと思い込み警察に通報したそうな。そしてその安宿のオーナー、従業員は御用となり留置所に。さすがにみどりさんも自分から誘ったとは言えなかったらしく強姦されましたと嘘をいったそうな。オーナー、従業員は無罪を主張したらしいが聞き入れられず裁判で有罪になり刑務所にそしてそのホテルは人が居なくなりやむなく閉鎖されたそうな。
C1980年代バラナシ久美子ハウスの情報ノートに私はみどり、何も恐れない女、なんでもできる、ところであなたはという書き込みがあったらしいい。そしてその書き込みはある本にも記されたみたいである。
|
END |