世界支配、単一世界政府。所謂ワンワールドに世界は向かっている。

この世界政府がやがて世界統治をはじめようとしている。世界統治とは世界全体を共産化するということだから共産主義は滅んではいないのです。世界全体を共産化するということはいままで先進国で贅沢をしてきた人々の生活水準をもいまの第三国の人々並の水準まで、つまり世界全体の生活水準をどんと落とすことになるのです。

それに逆らう人たちは抹殺されることになるのです。即ち完璧な監視社会をつくろうとしているのです

9.11同時多発テロ以後の全世界は監視社会になりつつある

庶民は監視社会で世界が国が町が平和になっていいなと気楽に考えるかもしれませんが、そう思わされている間に黒幕たちの真の目的方向に知らない間に導かれていくのです。

その方向とは大東亜戦争・第二次世界大戦の焼き直し「本土決戦で日本を献ずることができる」状態までです。つまり第三次世界大戦であるのです。大戦を演出することによって原爆や水爆を使って人間を合法的に殺すことが出来るからなのです。世界の人口が60億、やがては100億人といわれていますがそんなことを世界の黒幕たちは願ってなんかいないのです。

「歴史は繰り返すし繰り返しさせられます」だから嘗て起きた事が今また起きようとしているのです。黒幕たちはテレビやら新聞やらマスコミを世界支配の道具として使いますので、テレビはほんとうのことなんか絶対に庶民に伝えなどしません。スポーツとか芸能ニュースとかどうしようもないことしか放送しない、つまり「パンとサーカス」なのです。それが楽しくってしかたないという人はたいへんに気の毒だけどもやがて羊の群れとしての運命が待ち受けているのです。

なんにもわからない、教えてくれない。日本の政治はどうなってるんだとかアメリカの真実はなんだとかそんなことは絶対に教えない。本来真実を伝えるはずのメディアが人を洗脳するための道具として使われているからなのです。

今後間違いなく世の中は世界政府樹立の方向へもっていかれると思うし、9.11同時多発やらせテロ以後それが加速しているように思われます。

  1. 支那事変
  2. 大政翼賛会
  3. 本土決戦

上記の順で当時日本の一番の権力者である黒幕は世界統一政府樹立の前段階として日本共産化を目指そうとしていました。その黒幕とは近衛文麿です。

大東亜戦争は近衛文麿によってお膳立てされていた

1.近衛文麿

2.多民族国会・日本

宇野正美さんは東条英機陸軍大将のお孫さんと食事をしていていろいろと聞く機会があったそうですが、おおやけにされてないけども東条さんが仮定の秘話を話してくれたといっています。

当時、第2次近衛内閣を支えていた「松岡洋右外務大臣」には断固とした信念があったそうです。国際連合、国際連盟というのは黒幕たちの世界支配の道具兼、単なる貧しい国々に不平不満をいわせてガス抜きさせるだけの場所にすぎない。当時の国際連盟も白人国家である列強による有色人種国家を植民地支配する単なる道具でしかなかった。それがわかったのでそんなものに付き合ってられるかといって国際連盟を脱退したのが真相、真実であったようです。

脱退後、彼はドイツ、ソ連、アメリカなどに渡航して日本の完全なる自主独立と独自外交を模索し続けたのでした。しかし世界支配をもくろむ黒幕たちがそんなことを許すはずもありませんでした。日本の黒幕の総本山ともいうべき近衛文麿もソ連のスターリンを通じて世界支配をもくろむ黒幕たちの加担者であり一味でもあったので、だからこそ邪魔者である松岡洋右外務大臣は首を切られたというのが真相のようです。

つまりほんとに日本のことを思う愛国者は抹殺され、世界全体の流れの中で世界支配に賛同する者だけが生かされて使われるだけであり、これは当時も今もなんら変わりはないのです。

東条英機帝国陸軍中将兼陸軍大臣は政権を投げ出した近衛文麿首相の後任として(在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)に現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任しました。「就任と同時に大将に進級」そして同年1941年(昭和16年)12月8日、帝国海軍「山本五十六」らの引き起こした真珠湾攻撃により、日本はイギリスとアメリカに宣戦布告し太平洋戦争(大東亜戦争)に突入しました。

つまり東条英機陸軍大将、総理就任後わずか51日目にして大戦の火蓋が切られたのです。しかも火蓋を切った張本人は陸軍ではなく海軍側であるにもかかわらず、敗戦後すべての責任を押し付けられたのは、考えようによってはむちゃくちゃな話なのです。

結局東条英機陸軍大将は近衛文麿に嵌められたとしかいいようがありません。遥か以前から近衛文麿ら黒幕たちによって太平洋戦争(大東亜戦争)に突入するようにお膳立てがされていたのです。要するに後を下り坂で無理やりにブレーキの無い自動車を運転させられたのです。

第2次近衛内閣で外務大臣をやめさせられた松岡洋右が総理就任後の東条英機大将に当てた全長17メートルにも及ぶ毛筆書きの手紙が現存しています。その内容は要するに「近衛文麿には気をつけろ!!」 当時の日本は貴族社会。公侯伯子男の内の公、一番上のおおやけの公というのは、まさに雲上人。しかも五摂家の【近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家】もぜんぶ藤原で日本のトップもトップ。遡れば藤原道長、藤原頼通になる。だれも文句を言えない、天皇だってなにも言えないくらいの大貴族。そんな大貴族が自分の野望のために日本を共産主義にしようとしていたのです。

昭和天皇と話をする時、椅子に座って足を組んで「ね 陛下」といった調子で話をしていたのは当時有名な話であり、他の何人なりともそのうような態度をとった者はいなかったのです。

そんな人が自分の思いを隠しながら人を使って日本を動かしていったらめちゃくちゃになるし現に敗戦でめちゃくちゃになってしまいました。だからいまだに黒幕は近衛とわかっていても、だれもはっきりと言えないのが現状なのですが。その17メートルの手紙を東条英機大将はは読んだのです。組閣の後だったので読み終わった手紙を「誰にも絶対に見せてはいけない、見せるな。ただ時が来ておまえの判断で公にしてもいいという時がきたらその時はおまえの判断に任すといって奥さんに託した。」仏壇の下だとか疎開中は墨小屋の下に穴を掘って埋めて隠したりしながら守り通してきた。そしてその手紙は現在お孫さんの手によって国会図書館に献上、保管されているとのことです。

1941年(昭和16年)10月18日に発覚したゾルゲ事件。共産主義者のスパイゾルゲはロシア革命記念日の1944年(昭和16年)11月7日 執行されたことになっていますが実は生きたままゾルゲはドイツに送り返されていたとの事です。なぜなら近衛文麿が共産主義者なのだから同調者でもあり、また外国人でもあるので殺す理由がないからとの事です。

そのゾルゲの相棒で同1944年(昭和16年)のロシア革命記念日に処刑された朝日新聞記者の尾崎秀実ら共産主義グループに対して日本は戦争開始する時、かならず南進政策をとるように近衛文麿に働きかけなければならないし、そのように政策をしなければならないとスターリンが直接指導と命令をだしていたのです。「尾崎秀実は近衛内閣の時の近衛文麿のブレーンであり、支那事変の推進者でもあったのです。」

つまりソビエト共産党・スターリン直接指導の下、尾崎秀実ら共産主義グループが南進政策を行いそれを近衛文麿が実施したのが太平洋戦争(大東亜戦争)の実態なのでした。だからこそスターリンは日本が絶対に北進してソ連を攻めてこないことがわかっていたので安心してドイツと戦えたのです。

二・二六事件

二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日
ゾルケ事件まさに共産主義だったのですが、ではその共産主義との関係を考えるとこれは右翼でないかと考える人もいるけれども「二・二六事件の青年将校たち」はなぜ立ち上がったのかを問うならば、当時の時代背景を考えなければなにも見えてはこないのです。

東北の農村の貧しさ、自分たち家族の貧しさ「将校、下士官、兵卒問わず軍人の大部分は中流以下の家庭の出身でした」

当時、「娘を売りなさる場合はこの役所に申し出てください!!」こんな看板が堂々と国家の機関である地方の役所に掲げられていたのです。そのような悲惨な時代背景だったということを心に留め置いておかないとなりません。「そのあまりの惨めさに、日本の政治を変えなければならない。!!」これが二・二六事件の根底、つまり共産主義思想なのです。「今のままではだめだ、貧しい人たちの生活が保障される政治になければならない。」つまり我々一般庶民は軍人がといって考えているけども、「天皇を握れば義軍-天皇を握らないで平等を唱えれば単なる共産主義と変わるところはない。」そういう時代だったということを忘れてはならないのです。

なぜそんな時代になってしまったのでしょうか

  1. ロシア革命1917年 (大正6年)10月
  2. 世界大恐慌1929年 (昭和4年)10月
  3. 満州事変1931年(昭和6年)9月18日
  4. 支那事変1937年 (昭和12年)7月7日
  5. 大政翼賛会1940年 (昭和16年)10月
  6. 本土決戦1945年 (昭和20年)以後

ここで重要なのは世界大恐慌が世界中に広がっていて日本も世界ももうめちゃくちゃになってしまっていた。日本の場合は大学を出たのに就職先がない。「いまと違い当時の大学というのは一握りの選ばれた超優秀な人たちしか進学出来なかった希少価値ある人材であった」のです。そして町は失業者で溢れていたのです。

こんなんだから一つの捌け口として日本は満州事変に出て行ったといわれているし、アメリカ発のこの恐慌はヨーロッパ、日本にもすぐに広がった。「しかし共産主義体制の国だけには広がらず奇跡的に無傷であったのです。」そんなわけで共産主義こそが世界の理想ではないのかと人々は思い込んでしまったのです。

「共産主義は理想だ、この共産主義を世界に広げれば世界は平和になる」と信じ込んでしまったのがゾルゲだったのです。しかしスターリンは共産主義など信じてはいまでんでした。あくまでもロシア革命を推進しソ連を自分の物にするための道具でしかなかったのです。

そして毛沢東も同じでした。当時でも世界第一の莫大な人口の人民を一つにまとめあげるには思想だと考え、利用したにすぎないのです。だから毛沢東の共産主義はエンゲルスとかマルクスとは関係がないのです。当時も覚めた目でいる大物がこの世には存在していたのでした。

そして近衛文麿も日本を共産主義化してソ連の共産主義と共に世界に打って出ればすばらしいし、自分も主役になれる。ロシア革命時の皇帝はニコライ二世、日本では大正天皇そして昭和天皇。やがてニコライ二世に代わってレーニンそしてスターリン。それと同じように昭和天皇に代わって自分・近衛文麿も主役に成りたいし、成れるのではないのかと、そのような計画だったのです。

南進政策における太平洋戦争(大東亜戦争)が彼にとってのロシア革命であったのです。大貴族の道楽として実現可能と彼はほんとうに信じ込んでしまっていた。そして日本を支那事変で大陸の底なし沼に嵌め込んでいってしまったのです。

当時支那とは蒋介石の国民党軍による中華民国でした。蒋介石の軍と日本の支那駐屯軍が昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋で衝突したのが支那事変の勃発であるといわれていますが。しかし実際にはその間に第三者が存在していたのでした。劉 少奇(りゅう しょうき)の支那共産党軍が背後から支那駐屯軍と国民党軍に向かって銃を発砲したのが真実なのです。

支那駐屯軍は蒋介石の軍が、蒋介石は支那駐屯軍が仕掛けたと錯覚して支那事変が勃発しました

そんなことを近衛文麿は共産主義グループのネットワークでわかっていたし、知らないはずがなかったのです

その後、一旦は衝突した両軍でしたが、冷静に当時の状況を考えてみると不可解なことだらけであり、停戦、和解の方向に向かい始めたのです。しかし支那の泥沼に嵌るのを恐れ停戦、和解を模索する陸軍を無視して、昭和13(1938)年1月16日、近衛文麿首相は、「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず、帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立発展を期待し、これと両国国交を調整して再生支那の建設に協力せんとす」という声明を出して嫌がる陸軍を支那大陸の肥溜めに放り込んでしまったのです。「第一次近衛内閣の時でした。」

近衛文麿にしてみれば日本、日本陸軍が泥沼に嵌れば嵌るほど国民を奴隷にするための望ましい状況が生まれやすくなり、本土決戦は大賛成であったのですが。これではやばいと思い昭和天皇は徹底的に逆らったし、東条英機大将も徹底的に逆らいました。「だからこそ戦局の悪化にかっこつけて近衛は東条内閣打倒を図り 昭和19(1944年 7月22日倒閣させたのです。」常識で考えても戦争遂行内閣の総理大臣が戦争途中で交代するなど不可解事だらけであったのです。そして最後は昭和天皇のご聖断によりなんとか本土決戦と民族の滅亡を回避することが出来たのでした。

だからを太平洋戦争(大東亜戦争)考えるとたまらなく日本が好きで好きでたまらないという愛国者と世界の流れ「当時の流れだと共産主義」に日本を捧げようではないかという売国者の流れの二つがぶつかり合っていたことがわかるのです。

それを今風のメディアの言葉を借りれば閉鎖的印象で悪として操作されている民族主義と良い印象に操作されている国際主義「グローバールリズム」ということができます。

「グローバールリズム」世界は一つだ、それがいいことだといまメディアが必死で煽っているし、大企業も商売として使っていますが、そのグローバールリズムとは突き詰めれば共産主義のことなのです。だから只今の世界中のことは別として日本はどんどん共産主義に突き進んでいることがわかるのです。

共産主義とはユダヤ解放思想

本来の共産主義革命とはなんだったのか

覚めた目でこの共産主義・共産主義思想を作った黒幕はユダヤ・ユダヤ解放思想である。

1.近衛文麿

2.多民族国会・日本

ユダヤ解放思想とは「世界が共産主義になると平等な世界になり、いいことだらけになる」というのは嘘の話であり、ユダヤが共産主義革命の道具として使ったにすぎない。その理由は当時ユダヤはどこにいても迫害されるからであった。だから支配階級と労働者階級、この二つを階級闘争で相争わせながら世界中に労働闘争と政治闘争の火種を煽り、いままでの社会体制をぶっ壊すことが目的であった。社会体制を壊しその国を混乱に陥れた後、漁夫の利のように「ごっさん」でしたとすべての権力と富をいままでの支配者に代わって手にいれることが出来るからである。

「日本でも戦後、団塊の世代が共産主義の麻疹に罹ったようにとり憑かれた実例あり」

だからユダヤとしては世界平和など願うわけがなく、世界では国と国が、国内では支配階級と労働者階級が内乱を戦ってくれなければ困るのである。その戦いの原理こそが「思想」なのです。共産主義とはそのためだけに作られたものなのです。

スターリンはそれがわかっていたから「俺は乗せられないよ」と内心覚めた目で共産主義見ていたし、自分の野望のため道具として利用したにすぎない。だから本来共産主義思想はユダヤ解放思想なんだけどもスターリンはシベリアでどれだけのユダヤ人を殺したか、ヒットラーが良心的な善人に見えるくらい多くのユダヤ人を殺している。世界の本音の姿と建前を弁えないとなりません。ちょっとしたことなんだけども歴史をちゃんと知っていると極力だまされないですみます。知ってないと羊の群れになってしまいます。