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電撃結婚


1993年3月のある日 その旅人はカオサンを散歩していた。「すいません日本人ですか、、助けてください」と見知らぬ日本の女が今にも泣きだしそうな悲しい声で叫びながら走ってきた。

 その旅人は吃驚してしまった。普段旅先で出会った日本人のおおくがその旅人を見てはその風貌に驚き警戒して感じる時に口から発してしまう言葉だからであった。

 その旅人は瞬時のうちに思った。その日本の女が遭遇した出来事がどれほど悲惨であったのかをである。でなければ、ごく普通の旅先での状況下の日本人であればだれも好き好んでその旅人に声などかけてはこないはずであった。

 その旅人はしかたなく「どうしたの、、まずは落ちついて、、気を楽にして、、冷静にはなしを聞かせてよ」というほかになかった。その旅人はその見知らぬ日本の女の顔を観察していた。醜女だなと思っていた。スタイルもわるく体のせんが崩れ、背も低くがりがりに痩せていた。日焼けしてなんだか汚らしい細腕からこれでも女かと思うくらい濃い産毛がまんべんなく生えていた。ところどころ変色した古汚いTシャツの首もとがのびきり肩のあたりまでたれさがっており、嫌でも使い古しピンクのブラジャーが目に入ってきた。フリーサイズのジーンズはその見知らぬ日本の女の体形がそのまま癖になっており、膝がでてよれよれの蟹股であった。

 その旅人は思わず顔を背けたくなってきた。できれば関わりたくはなく、その場から消え去ってほしいと思った。いくらその旅人が好き嫌いなしのゲテ物趣味でも限度というものがあった。だれか自分に変わる物好きな旅行者が現れてはくれないのかと祈った。

 その見知らぬ日本の女は感情的に事のいきさつをしゃべりはじめた。しゃべっているうちによほどのショックだったと見え泣きはじめてしまった。感情的に興奮して涙ながらの説明ではその旅人にはよく理解できはしなかった。

 その場を通り過ぎて行く多くの旅行者の視線が痛いほどその旅人に突き刺さってきた。その旅人はなんだかすごい恥ずかしい気分に襲われた。その旅人は考えていた。この泣き助けを求めている女がだれでも羨むほどのいい女であったなら、俺は男の自己満足に浸りなんでもしてやろうと頑張れるのだが。これほどの醜女相手では、、その場を通り過ぎて行く見ず知らずの旅行者の目にはもしかしたらその見知らぬ日本の女はその旅人のガールフレンドであり、あいつはかわいそうな自分の女は泣かせてるなというふうに見えているということもありえるかもしれんと思えてきた。

 できれば立ち話ですませはやくその場から離れたいと思っていたその旅人はこの場にいることの気恥ずかしさに耐え切れなくなり、やもをえずコーヒーショップにその見知らぬ日本の女を誘う羽目になった。

 彼女は当時33歳その旅人より年上であり話はこのようなものであった。大阪で一人暮らしのOLをしていたが嫌気がさして退職。生まれてはじめての海外旅行で一人タイを訪れた。数日カオサン滞在中知合った日本人からサメット島をすすめられ、一ヵ月半ちかく滞在していた。カオサンに戻ってきたところであり帰国秒読み段階であった。

 大阪から片道航空券で入国したが東京になにか大事な用事があるらしくその日程も厳守だということであった。彼女は日本語しかしゃべれことができず東京までの航空券を日本人がアルバイトをしているある代理店で買わされる羽目になった。

 そのカオサン通り内のある代理店の名を彼女が口にした瞬間、なるほどとその旅人は思った。そのある代理店の日本人の噂はあまりにも有名であった。

毎年2、3、4月と6,7、8、9月は日本人相手に一儲けをもくろむ者にとっては、刈り入れ時である。特にこの時期、学生の卒業旅行で大いにカオサンは賑わいを見せてくれる。こうやって騙されました、このようにぼられました、こんな被害にあいました。などまるで珍事件の報告会みたいであり暇つぶしの課題には事飽くことのない、聞き手の側にはまことに楽しいシーズン到来ということができた。そして5月はゴールデンウイークがあり、7月からはまた待ちに待った学生の夏休みが9月まで続くのである。

 そんなシーズンの真っ只中ある代理店の日本人から見れば客としては絶好のお得意さんともいえる彼女が生贄になってしまったようである。

 ある代理店の日本人は初心者相手に航空券、バスのチケット、その他各種タイ国内のツアーなどの手配をしていた。とにかく噂が絶えたことはなかった。残念ながらよいほうの噂をその旅人は耳にしたことは一度もなかった。なれた旅人には一切近寄らないどころかむしろ避けていた。ひたすらこの時期タイを訪れる主に学生を相手に法外な指南料を取り稼いでいた。

 とくに女性には手取り足取りとても親切に面倒を見ていた。がその親切さが毎度、毎度行き過ぎていたようであった。夕食、パッポンのショータイムなど夜の外出時は親切さを発揮して女性の部屋まで送りとどけてくれるらしいが、あまりの親切さに部屋の中まで入ってしまうらしい。その他いろいろなアフターケアーがついつい行き過ぎてしまいセクハラまがいの苦情もよく耳にした。

 営業外では初心者にたいへん親切な、ある代理店の日本人は営業中は女性に対しても容赦なくシビアな商売人であったようである。ほかの代理店よりもかなり料金設定が法外な高額であったらしい。ある初心者君はバンコックから東京までのビーマン航空の片道航空券を相場の倍で買わされたらしく、それに激怒してツーリストポリスに訴えられ大きな問題に発展しとこともあったようである。ある代理店の日本人は従業員ではなく自分の売りつけた金額に対して歩合で仕事をしていたらしく。オーナーはタイ人であった。

 彼女はある代理店の日本人にどうしてもこの日までに帰国せねばならない用事があることを説明するとエジプト航空をすすめられた。その日の便なら今電話で確認をとったが間違えなく搭乗できるOK済みだといわれ金を払った。

 翌日レシートを持って代理店に行き航空券を受取ったが、ある代理店の日本人はその日は学生シーズンでうんわるく満席でだめであった。1週間後の便に変更になったよと涼しい顔で言い放ったらしい。

 彼女は当然食ってかかったのだが、ある代理店の日本人は「どうしてもその日に帰国したければ日本航空の正規航空券を買わないといけないが、買う気はあるかと」いってのけたらしい。おまけにもう発券してしまった航空券は払い戻しもなにもできないので、その日まで待つか自分でエジプト航空のオフィスまで行って交渉するかのどちらかにしろと素人の足元を見られ追い払われたところであった。

 その旅人は放置しておくわけにもいかず、エジプト航空のオフィースに彼女を連れて行った。2時間ほどねばり希望する日に変更できた。

 その旅人はカオサンにまた彼女を連れて戻り、界隈の屋台で晩飯を食べることにした。ホイケン、トムヤムクン、蟹、イかなど贅沢に盛りつけられたおかずがテーブルの上に並んでいた。彼女は上機嫌でビールをグイググイと飲みはじめかなり酔っていた。その旅人は彼女を観察しながら思った。「よほどうれしかったんだろうな、、苦しい時の日本人頼みがみごとに裏目にでてしまいどうしていいのかわからぬ興奮状態だったもんな」ところでここの飲み食いの金は常識で考えてもこの女が払うに決まってるよなとその旅人は確信に満ちながら、口当たりのよいただ酒に酔っていた。

 「よし今日は私がおごります、、私の部屋で飲みなおししましょう」と彼女はいった。屋台の代金を払い部屋に戻る途中の雑貨屋でシンガービールの大瓶4本を買って彼女の部屋に戻った。その旅人は気分よくただ酒に酔いしれながら「よかった、、想像どおりに金はこの女が払った。500バーツもしたもんな、、こんなんおれ払ってたらたいへんだったよ」と安堵感からまたまたシンガービールを飲みはじめた。

 なんどか彼女はビールを買いに雑貨屋に走っていた。その旅人はそうとうに酔いがまわり、昼間はじめて彼女を見た時の醜女というイメージが薄らいでいた。蛍光灯と酒は女を綺麗に見せる最大の見方だなとその旅人は思った。

 時は流れた 夜も深まり彼女は「眠たくなってきたわ、、横になると呟きベットについた。ベット一つしかなくあんたも横になれば」と呟き言葉巧みに誘いをかけてきた。その旅人は酔いも手伝い分別の判断能力が停止していたため、彼女に乗っかり終着駅を目指そうとしていた。

 終着駅一つ手前に差し掛かったその時彼女は突如「そこから先は責任を取ってくれなければだめ!!」ときっぱりと拒絶した。その旅人はおとろえの中で考えていたが途中下車の道を選んだ。その旅人は途中下車の後、彼女に背を向けベットの上で考えこんでいた。「年齢的にも、その他自分をとりまく環境的にも彼女はその強い結婚願望の中に結婚への強い焦りがあるな、」こんな女に手を出してしまえば遊びではすまされず責任の名の下に結婚という覚悟が必要だ。おれにはそんな勇気はない。

 その後彼女は3日間ほど滞在して毎日その旅人の部屋に遊びにきていた。そのつど誘ってきたがその旅人には勇気がなくそれ以上の進展はあるはずもなかった。彼女は自宅アパートの電話番号をその旅人に告げて帰国した。

 その旅人は帰国後彼女が気になりなんどか電話したがいつも留守電でつながらなかった。忘れかけていたある日、なんとなく電話してみると彼女がでた。いきなり「私結婚するの、、彼サメット島で知り合った人、、私よりひとまわり年上で初婚なの。帰国後ね突然電話があり電撃結婚しちゃったの。彼東京なんだけどいま引越しの最中なのよ」とすごいうれしそうな声であった。その旅人は「おめでとうと答え」心の中でよかったね幸せにねと祈り電話をきった。

 1994年4月のある日、その旅人はタイに舞い戻りカオサンを散歩していた。中年のカップルの女が手を振っているのに気付いた。だれだろうと一瞬考えたがすぐに、その旅人の記憶から完全に消えさっていた、彼女であることがわかった。その旅人のもとに彼女だけが走ってきた。「新婚旅行でパンガン島から戻ってきたところなのよ、もうすぐ帰国するとこなの」といい早々と旦那のもとに戻っていった。

 その晩その旅人はカオサン通りのあるコーヒーショップの最前列でビールを飲みながら人々の往来を見ていた。すると彼女がその旅人を見つけ手を振りながら目線で合図を送りそのまま旦那と一緒に消えていった。1時間くらいして彼女が戻ってくると突然「時間がないのでここまできてよ」といった。

 その旅人はいわれるままに席を離れ目の前の通りに出た、その瞬間いきなり彼女は抱きついてくるなりキスをしてきた。ありったけの力で抱きつきキスは延々と続いた。なにもかもが停止した状態で10分間くらい続いていた。

 その旅人は彼女が泣いているのに気付いた。新婚旅行のはずなのになんで泣いているのだろうかな、、と思ったが彼女のなんだか絶望的に暗い表情になにもいえなかった。キスは中断され彼女の沈黙の時が流れて行った。

 やがて彼女は重い口を開き一言「私の旦那はエイズの疑いがあるの、、昔遊んだ人なのと呟き、、さらに一言私、、こんなはずじゃなかったに」と呟いた。

 またも沈黙は続いた。その旅人も頭が真っ白になり泣きたくなってきた。その旅人は思った。「この場はなにか言葉をかけてやったほうがいいなとである。」その旅人は涙を流し沈黙を続ける彼女にとっさの判断で「愛があれば大丈夫。たとえ感染していても愛があれば発病しないよ、、乗り越えられるよ。そしてもし発病してしまったならあなたが看病してあげるしかないでしょ。あなたは女房でしょ。あなたの選んだ男でしょ。旦那が待っているでしょ。早く戻りなさい。」これがその旅人の精一杯の言葉であった。

 彼女が旦那のもとに戻った後その旅人はそのままビールを飲み続け考えていた。あの時おれにもしすこしでも勇気があればあの女をあそこまで不幸にはしてなかっただろう。

 その旅人はその後の彼女たち夫婦の消息は知らない。しあわせに生きていてくれればいいとだれでも願うことである。