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丙午の女


 その男はドミトリーのベットの上で目を瞑りあの出来事を回想していた。

 1994年6月南インドから雨季のカルカッタに戻ったが嫌な予感が働き、その男は愛着のあるパラゴンを避けマリアハウスに足を向けた。
 後からそれが正解であったことを思い知らされるのに多くの時間を必要とはしなかった。

 それはマリアハウスに足を向けたその日の午後、パラゴンの様子を見に行った瞬間であった。
パラゴン1階ドミトリーのベットの上でその女はある男と抱き合っていた。その光景を見た瞬間、全ての力が体から抜け落ちて、バンコックに戻る決意をその場でさせられたのであった。

 マリアハウスの自分のベットに逃げ帰ると、仰向けになり暫く放心状態がつづいていた。部屋の住人の話し声が嫌でも耳に入ってきた。だれかが話しかけてきたがとても答えを返す気にはなれなかった。
 ボンが回ってきた。これはちょうど都合がよく思いっきり吸いこみ寝たふりをきめこんだ。
自分の意思に関係なく勝手に頭の中であの日の出来事が蘇ってきた。

 あの日、その男は日本からの飛行機が大幅に遅れ朝方ドンムアンに到着した。29番のバスを通りに出て待っていたのだが、声をかけてきたタクシーに乗りこむと無意識のうちにカオサンと運転手に言ってしまっていた。
 カオサンに向う最中「たまには気分転換にカオサンに泊まるのもわるくはないな」と自分にいい聞かせていた。
 民主記念塔を少し通り過ぎた所にある交差点で右折させて、すぐ左折するとカオサンに入るのだが、その男は右折させてすぐにタクシーを降りた。
 そしてカオサンとは反対に右のソイに入って行った。食堂とビリヤード場のソイを左に曲がり、すぐ右手に如何わしそうな木造のゲストハウスを見つけると吸いこまれるように入っていた。

 午前中でもあり午後にならないと部屋は空かないと言われた。急ぐわけでもなく、なんの当てもない旅であるので、荷物を預けるとカオサン界隈を歩きまわり時間を潰していた。

 昼近くになり、そろそろ、あのゲストハウスに戻ろうとしていた頃、ある日本のスチワーデスと知合った。とても魅力的な女であり、そのまま終わるにはもったいない気になり、その日の夜パッポンのショーを見にいく約束をとりつけて再びゲストハウスに戻った。
 まだシングルルームは満室であった。しばらく待っていると、外からある日本の女がまるで吸いこまれるように入ってくるなり「部屋待ちですか?私も今日の朝、日本からついて、部屋待ちをしているとこなのです」と声をかけてきた。
 その男は「シングルがまだ空いてないのですよと答えた」その瞬間西洋人のカップルがチェックアウトして出て行く姿が目についた。
 その瞬間二人の口からほぼ同時に「あの、よければ部屋をシェアーしませんか」とでてきたのであった。
 パンジャビドレスフアッションに身を包みこみ、特殊な波長を発していた。煩悩な男にとって、とても危険な匂いを漂わせる魔性の女という表現がぴったりとそのままあてはまるのではないかとその男の目には映った。
 その男自らの経験上この手の女はヤバイと一瞬躊躇いもしたが、その女の魅力にとても敵うわけもなくまるで磁石の極に吸いこまれるように西洋人カップルが出て行った部屋に導かれた。
 その女は丙午の女であり、明日の朝カルカッタに旅立ちその後アジアハイウエイの道跡を辿り中東を抜けイスタンブールまで旅をつづけるとのことであった。

 その男は日が暮れるまで丙午の女の魔性に憑かれて部屋から出ることはなかった。丙午の女は自分の歴史を詳細にその男に語りつくした。
 誕生から幼児体験、姉妹との親との因果関係、友人関係、中学2年の夏休みの時、父親の命令で強制的にアメリカに留学させられ、中学2年の途中から高校卒業までをアメリカの宿舎で暮らしたことなどを。午後1時から午後6時までの間にすべてを要領よくその男に聞かせたのであった。

 タイ国歌がどこからともなく聞こえてきた。その音色でその男はわれに帰った。窓から外を覗くともう暗くなりはじめていた。空腹にも気がつき丙午の女を食事に外に連れ出した。
 ニューワールドセンターの交差点を渡ると、どぶ川に橋が架かっていた。そこはバーンラーンプーの船着場にもなっていた。橋の階段を下りたところにある屋台でその男と丙午の女は晩飯を食べていた。
 トムヤムクン、ヤムウンセン、ホイケンをつまみに酒盛りをしていた。グラスの底に水を張りそれを冷やして凍らせたグラスにこれまた、ギンギンに瓶ごと凍らせたシンガービールをさらに氷を入れながら堪能していた。
 橋を屋根に、どこから電源を引いているのか定かではない裸電球の灯りが、丙午の女の深層心理に深く食い込んでいた。ときおり船着場を船が乗客を乗せながら上り下りして行った。
 船の走る力により、どぶ川の水が時折波を打っていた。小波の囁きがさらに丙午の女の心を酔わすお手伝いをしてくれていた。
 また、、小波のあと訪れる大波の水飛沫が時折丙午の女の顔に体に襲いかかる。その水飛沫が心を開き直らせるお手伝いをしてくれていた。丙午の女の反応を観察しながら、その男は時折壊れかけた大昔の日本製ジュークボックスから適当な歌を探し出しては聞かせていた。
 「もう、、こんな、、時間だ」とその男は呟き「そろそろ戻ろう」と丙午の女に言った。カオサンに戻ったところで、その男はある日本のスチワーデスとの約束を丙午の女に告げ、先に部屋に戻るようにと断った。

 「裸踊りをしているホステスの中のだれがあなたの好み」とある日本のスチワーデスはその男に聞いた。その男はある日本のスチワーデスに手ごたえを感じた。その男の経験上からこのような状況下で女の好みを聞いてくる女には、その気があるという理論であった。
 その男はわざと、その中で一番、ある日本のスチワーデスに似ている女を指した。何杯かのビールを飲み干しある日本のスチワーデスがかなり酔ってきているのを確認すると、そろそろ潮時だなとその男は考えサムロでカオサンに帰ることにした。
 この天使の都の夜空はなんとも妖しい。雲が手をのばせば掴めそうなくらい低いところに降りてきている。そして生暖かい夜風がサムロには似あう。夜、女をその気にさせる最高の武器になるとその男は心得ている。

 サムロがカオサンのちょうどある日本人スチワーデスが泊まっている辺りで停まった。料金はきっちり割勘であった。その男は旅先で巡り合った女に1バーツたりともおごったことなどない。究極のどけちでもあった。また女に対して旅先でおごられれば、おごってもらうのが当然の権利のように思ってもいた。天使の都のヤワラー界隈にたむろしている貧乏旅行者特有の思想である。
 サムロを降りたところでその男は、ある日本のスチワーデスに「部屋に寄っていってもいいかな?」と聞いてみた。
 ぼそぼそと聞き取れない答えがあった。その男は、ある日本のスチワーデスの前に出て、そのまま、ある日本のスチワーデスの泊まっているゲストハウスめがけて歩きだした。
 そのままずうずうしく、部屋の前まで歩いた。ある日本のスチワーデスは鍵を開けて「どうぞと」その男を部屋に招き入れるしかなかった。なんとその男のずうずうしいというか、慣れているというか、あきれたものであった。
 部屋に入るとその男は当然の権利のようにベットの上に座りこんだ。ある日本のスチワーデスは自分の部屋であるにもかかわらず床に座った。

 ある日本のスチワーデスの部屋はホットシャワー、エアコン完備で300バーツであった。わりと高収入の職業であり、特権の無料航空券でのお忍びの旅行であることを考えればこれでも十分に質素な旅であった。
 その男がホットシャワーを見逃すわけがなかった。安宿を泊まり歩く貧乏旅行者にとって、だれの部屋であろうとホットシャワーがあれば、そのチャンスを見逃すはずがなく、むりやり押しかけてでも浴びるずうずうしさが養われている。
 その男は「シャワーが浴びたいがいいかな?」といちよう許可を求めるポーズをとった。ある日本のスチワーデスは断るわけにもいかず、備え付けの真新しいバスタオルを差しだし「どうぞと言った。」その男は当然のような顔でシャワー室にかけこみ、おもうぞんぶんにホットシャワーを堪能して出てくると、ある日本のスチワーデスに「君も浴びれば」と言ってのけた。

 その男のずうずうしさにへんに納得させられたある日本のスチワーデスはシャワー室へかけこんでいった。
 シャワーを浴び終えて、しばらくの間馬鹿話がつづいていたその時、ある日本のスチワーデスが突然ぼそぼそと聞き取りにくい声で「アノ、あれ、あれをもっているでしょうか?ガンチャを、吸ってみたいのです」と切かけてきた。
 その男は午前中、だれでもしっている超有名なカオサン内のあるゲストハウスから仕入れ、ポケットに忍ばせていた。精神向上、食欲増進、物欲軽減、安眠向上、男女間の円満な融合などの必需品である。
 その男は「待ってました」と心の中で歓喜の声をあげながら、たしかな手ごたえに酔いしれていた。初心者である、ある日本のスチワーデスに、ガンチャ「ボンシャンカー」の道を親切、丁寧に手ほどきを行っていた。

 時は流れた。その道のベテランである、その男の手ほどきによって初心者である、ある日本のスチワーデスはその後完全に従順な受身となりその男を受け入れたのであった。
事を終えてベットの上でまどろんでいた。
 ある日本のスチワーデスは極楽浄土を彷徨っていた。初めての体験で完全にハイに成りきり、毛穴から、心までが開き放たれたままであった。
 がある男は時計をみつめ、時間との格闘をしていたのである。「午前2時か」あの魔性の、丙午の女は早朝6時にドンムアンに行ってしまう。あと4時間しかない。
 「触らぬ神に祟りなし、このままここで寝てしまえば、なにごともなく終わってしまうではないか?」という心と、「それではあまりにも丙午の女に悪いではないか」という心の狭間で葛藤をくりひろげていた。

 その男は丙午の女の寝ている部屋に戻ることに決めた。ある日本のスチワーデスにはありのままを説明した。
 突然のことに、ある日本のスチワーデスはびっくりぎょうてんしていまい、極楽浄土から地獄界にいきなり引き降ろされたような顔に変身してしまっていた。
 「わるい、ごめん、旅先は一期一会」だからと慰めの言葉をある日本のスチワーデスにかけると部屋から出て行った。。

 その男は階段を駆け登り部屋の前まできた。すると以外にもドアーがすぐ開かれ「おかえりなさい」と丙午の女の声がした。眠りにつくことなく待っていたような気配であった。「おそかったのね」と一言だけ言われた。
 「シャワー浴びたら?」と丙午の女が言った。その男は浴びる必要もなかったが、シャワー室に入って行った。その男が部屋に戻ると、丙午の女が「私もシャワー浴びてくるね」と言い出て行った。
 丙午の女はシャワー室から戻ってくると、その男の寝転んでいたベットの前を通りすぎる瞬間、なにやらベットの上に落ちてくる物体が目に入った。横目で確認するとそれは、丙午の女のパンティーであった。
 丙午の女の自分史を聞きながら時を見計らい「これ落ちてたよ」と丙午の女に返した。変わった女だとその男は考えていた。
 あれは行為的に落としたとしか考えられんな。これは脈があるなと、戦略を考えていた。ガンチャをとりだし一本巻いてみた。まずその男が吸いこみ、丙午の女にすすめてみた。思ったとおりなんの抵抗もなく吸ってのけた。
 時は流れた。迫ってみた。が初心者であった、ある日本のスチワーデスのようにはいかなかった。その男よりも、丙午の女ほうがどうやら一枚上手であった。「バンコックの、こんなゲストハウスの、こんな、夢も、雰囲気もないところでは嫌だわ」とお茶を濁された。
 その男はあきらめ寝ることにした。寝ながら考えていた。「パンティーを行為的に落とし、挑発しておいて、拒否する。」マッチポンプだな。やはり魔性の悪女にちがいない。触らぬ神に祟りなしだと納得して眠りに落ちた。
 朝眼が覚めると丙午の女は旅立った後であり枕元に置手紙が置いてあった。カルカッタにしばらくいるとだけ記されてあった。
 ある日の朝、その男は丙午の女のことも記憶の中から消え去っていた。なりゆきまかせの旅をするつもりで、この先どこに行こうかなと考えていたのだか、無意識の内にインド大使館に向かっていた。
 あの日、あの時シャワーから戻った丙午の女のパンティー落下さえなければインド大使館に来ることなどなかったはずなのにとビザ申請用紙にペンを走らせながら考えていた。

 その男はパラゴン1階のドミトリーにたどりついた。その日の夕方屋上で一人ボンをしていたその時どこからともなく「お目にかかれて嬉しいです」と女の声が聞こえてきた。屋上のドミトリーに泊まっていた丙午の女であった。
 そのまま晩飯を食べに行き、丙午の女のカルカッタでの出来事をいろいろと聞かされた。カタックダンスを習っているとのことであった。その男と丙午の女は、しばらくの間旅先で出会った同士の単なる関係がつづいていた。
 ある日の夜、その男が転寝から眼が覚めると枕元に丙午の女愛用の赤いウオークマンが置いてあった。起きていた部屋住人に聞くとちょっと前に丙午の女がくるなり無言のまま置いていったとのことだった。
 その男は、わけがわからず、寝ぼけたまま、屋上の丙午の女のドミトリー部屋に持って行った。そのことにかんしてはなんの答えもかえってはこなかった。そして丙午の女のベットの上でしばらく話を聞かされていた。
 夜もふかまり部屋の住人は一人、二人と眠りについていった。丙午の女は電気を消した。しばらくの間二人の間に沈黙の時が流れた。
 さらに時は流れていった。その男と丙午の女は体を密着させながら、人間一人分だけのスペースしかない、ベットの上で寝転がり、お互いの性的興奮を高めては、それを抑えこんでいた。ベットとベットの間には足を入れるだけの空間だけが確保されているドミトリーの深夜であった。
 容赦ない時が流れていった。その男も丙午の女も興奮状態は極限に達していた。その時、丙午の女が「あの時、あの場所、カオサンとはちがい、ここインドでは夢と雰囲気がそろっているわ」と呟いた。
 その男は迫ってみた。丙午の女は身も心も完全に開き放たれていて、その男を完全に受け入れる状態であった。が、さすがに、その男でも躊躇いがあった。場所、状況を考えればあたりまえのことであった。
 しかし、あの時、あの場所とは丙午の女の状況がちがっていた。やはり魔性の悪女なのだろうか?丙午の女から、その男に強烈に迫った。
 その男は丙午の女の魔性の誘惑に勝てるはずもなく、沢山の日本人ばかりが、眠りについているドミトリーで男女の営みを盛大に行ってしまった。まさに禁断の性的行為であった。

 朝、ある部屋住人の旅立ちのざわめきで目が覚めた。みな深夜おこった禁断の情事には一切触れることもなく「おはようございます」と明るく声をかけてくれた。その男は、日本人のもつ、優しい心に胸打たれた。

 その男と丙午の女はサダルの路地を入ったところのチャイ屋に朝飯にでかけた。その男は丙午の女を観察していた。普通ならこの先部屋をともにするとか、あれは遊びであり忘れてほしいとか、なんらかの結論をだすのだが、いっこうになんの気配も表にださず、なんら禁断の情事前と変わらぬ態度であった。
 その男はなんか丙午の女に弄ばれているのではと思い疑心を抱きはじめた。その時丙午の女は言った。つぎの行き先は決まっているの?その男が答えた。考えてないね、、なりゆきしだいさ。
 丙午の女は言った。「自分で決められないなら私が決めてあげます。あなたはこの先私とイスタンブールまで行くのです。いまのままの関係で」
 その男は部屋をともにするわけでもなく、恋人でもなく、丙午の女がいつ旅立つ気になるのかさえ定かでないまま、丙午の女が旅立ちを決意するその時まで空手形をにぎりしめて待ちつづけ、受身にてっすることなど、どうあがいても、無理であった。
 しかも丙午の女はバイリンガルであり、まして大勢の西洋人の男に口説かれ、それを楽しんでいるようにも見えた。
 その男の疑心はますます深まり、丙午の女は男を弄ぶ性の持ち主であり、完全に弄ばれているのかも知れないという結論に達した。イスタンブール行の空手形は話を濁して終わりにした。

 その男は、ある日の午後これ以上丙午の女にのめり込んでいては自分の身が持たず、これ以上の感情を募らせてはやばい、一日も早くカルカッタから離れ、忘れなければ駄目だと、決意を固め、バラナシ行きのチケットを買い、丙午の女にバラナシに行くことにしたよと告げた。丙午の女はいつと聞いた。明日だよと答えると少し吃驚しが、行ってらっしゃいと笑顔で答えた。

 その男は考えていた。あれから何日経ったのだろうか、いくらなんでも、もう丙午の女はイスタンブールに向かい旅立っているはだ。そろそろ自分の中でのほとぼりも冷め切っていたある日、久美子ハウスを後にした。

 その男はパラゴンに戻り愛着のある1階ドミトリーのベットを確保することができた。部屋住人と雑談にふけっていると、外出先からその男のベットの隣にある人物が戻ってきた。丙午の女であった。
 その男と丙午の女は、その日二人で深夜のカルカッタ見物をしていた。昼すぎ丙午の女が「何か刺激のある所に行きたい」と言いだしたかであった。
 その男は昔、好奇心にかられ、遊びに行ったことのある、娼屈街に足を運んだ。

 そこはトラムで動物園方面に向かう途中の橋の下にあり果てしなく広がっていた。その果てしなく広がっている娼屈街のある一角で、その男と丙午の女はチャイを飲みながら、買い手と売り手の一部始終を観察していた。時は知らぬ間に流れ、日が沈んでいくのに気づきはじめた。
 日没とともに人が増えはじめ活気に満ちてきた。「娼屈街を彷徨ってみたいわ」と丙午の女が言いだした。
 あっちこっちと果てしなく広がりつづけている界隈を徘徊することに決めて適当に歩き回っていた。周りの視線が突き刺すほどに強く一斉に徘徊している二人を捕らえてきた。
 徘徊はえんえんとつづき、やがて界隈の外れにたどりつくと、やたらとホテルばかりが目につきはじめた。丙午の女が「いくらぐらいなのこのあたりのホテル、もう遅いので泊まっていくのも悪くはないわね」と言いだした。
 値段を聞き回ったが、どこも宿泊を断られた。それでもあきらめずに探しつづけているその時、二人の前にペッパー警部が手帳を見せ立ちはだかってきた。
 職務質問をされた。ここは君たち日本人のカップルが遊びにくるような健全な場所ではなく、カルカッタの規則で外国人は夜10時以後外出が禁止されているんだよ。
 私の権限によって、君たちの安全を確保するため、君達を強制帰宅させることに決めたから、今からホテルに帰りなさいと言い、タクシーを捕まえ運転手に手帳を見せ命令どうりにパラゴンに帰宅させられた。

 その男と丙午の女は真夜中パラゴンに戻ったが、扉は厳重に閉められていた。なんども扉を叩くがなかなか開けてはくれなかった。やっとの思いで扉は開かれた。
 ドミトリーに二人は戻った。電気は消され、みな眠りについていた。声を押し殺しその男も丙午の女もシャワー室へかけこんでいった。
 その男のほうがさきに戻ってきた。丙午の女がシャワーから戻ると消灯され薄暗いベットの上で寝転んでいたその男の上に今まで穿いていたパンティーを落とし自分のベットについた。
 丙午の女は小声で「私なんだかおかしい、あんな所を見てしまったので理性がきかないみたい」と呟いた。
 その男のベットと丙午の女のベットの間には足をふみ入れるだけの空間しかなかった。さすがにその男も躊躇い、我慢をすることにした。が、またしても丙午の女の魔性の迫り来る魔の手に勝てるわけもなく、またしても、男女の営み、禁断の性行為を繰り広げてしまった。

 朝サダルの路地を入ったいつものチャイ屋で二人は朝飯を食べていた。丙午の女はまたしても、その男が久美子ハウスに旅立つ前と同じ言葉をくりかえした。「あなたの行き先は私が決めてあげます。一緒にイスタンブールまで行くのです」

 ある日、その男は、焦り苛立っていた。いつまで待っても定かでなく、あてにできない、空手形。絶対におちょくられ、弄ばれているに違いないという結論に達した。
 それから幾日かが過ぎ去っていた。その男は、ある日、丙午の女に明日、南に下る旨を伝え旅立った。
 夜行列車でマドラスに向かうために夜パラゴンを去るまさにその時、数日前部屋に流れついてきた、その瞬間外出中のある外国男のベットの上に丙午の女は愛用の赤のウォークマンを置くまさに瞬間であった。

 その男は、その時、インドの旅はまさに一期一会だなと納得して、カルカッタパラゴンンを去って行った。