前回の旅行「1994」で、もう十分だ。こんな生活。日本に戻り社会復帰してみようと、心に固く刻んでみたのです。 が、2年間でその固い決意はもろくも崩れ去ってしまい、またも放浪癖という病気が再発してしまったのでした。 とりあえずジュライホテルへと思い天使の都に降り立ったのでありますが、なんと、ジュライホテルが閉鎖されていたのでありました。 これではバンコックにいてもしかたなく、とりあえず元ジュライ住人が流れて行った、プノンペンへと流れて行きました。 そこにはあの昔、確かにあったはずの、あの東南アジアというなの匂いがタイムマシーンにより、とても鮮やかに再現されていたのでありました。 とりあえず、カンボジアはバンコックに戻ってからにすればいいさと思い。さてここから先どこに流れてみようかとコインで占ってみました。 水を得た魚とでもいいましょうか、薬を再び目の前にした元中毒患者が、やはり元の道に戻っていくのと同じ原理で旅という中毒患者の道へと逆戻りしていったのでありました。 旅先でこれから先の行き先を決めるのを、モットーにしていた私は、急にアフリカに行きたくなってきたのでありました。 真夜中バンコックを飛び立ったエジプト航空は明朝早くカイロに到着しました。 カイロ早朝6時着。ナイロビ行きの便は、カイロ発深夜12時でありました。 バンコックからナイロビに向かう乗客はその日4人であり、日本人3人とケニア人1人でした。 カイロで高級ホテルと3食の食事がついていたのですが。1人の航空職員が我々3人を、もう1人の職員がケニア人を別々のホテルに案内したのでした。 3人は飛行場近くの5スターホテルで朝から豪華なバイキング方式の食事で、部屋も個別で、バスタブにつかりながらナイロビ行きの飛行機を快適に待つことができました。 再びカイロの空港でそのケニア人と再会したのですが、聞くと彼は、遠く離れた商人宿のドミトリーに連れて行かれ食事も実費であったとのことでした。 「ケニア」 「ナイロビイ→イシオロ」までバス「イシオロ→モヤレ」トラックの荷台にみんなと仲良く。 「エチオピア」 「モヤレ→シシャマネ→アジスアベバ」までバス「アジスアベバ→アクスム」フライト「バハルダール→ゴンダール→アジスアベバ」バス 「エリトリア」へ アジスアベバ→アスマラ」までバス 「エリトリア」から 「アスマラ→カイロ」まで空路 「カイロ」から 「カイロ→ヌェバ」夜行バス「ヌェバ→アカバ」海路「アカバ→ペトラ」バス「ペトラ→アンマン」バス「アンマン→ダマスカス」乗り合いタクシー 「ダマスカス」から 「ダマスカス→バンコック」空路 バンコック→カンボジア→バンコック→コタバル→バンコック→プノンペン→バンコック→帰国「1996〜1997」 |