カンボジア>kohkong

タイ、カンボジア間の国境の町 ココン「kohkong」 どうもその昔タイ領土であったらしい。タイ側「ハートレックで出国手続きをして、徒歩ほんのわずかな所にカンボジア側のイミグレーションCHAM YEAM」がある。入国手続きを済ませると、そこから先はタイムマシーンによって時計の針が一昔前まで戻ってしまう。




入国手続を終えた瞬間橋を渡りココンの町まで自分を運ぶ足にまず不自由することはない。何台ものバイタクに取り囲まれることになる。

タクシーにお目にかかることはまずない。以前雨季の最中、入国手続きを終えバイタクの後ろに跨り走り出すまで、運良く雨は降ってはいなかった。橋を渡り町まで30バーツの距離であるが、これは到着まで雨は降らないなと分で安心していたその時、スコールに見舞われた。

屋根からバケツをひっくり返したような強烈な雨。顔面が張り裂けそうな激痛が襲い、寒さで猛烈な振るえに襲われた。どこかで待機しようと試みたが、そのような場所はなかった。しかたなく橋向こうの町のホテルまで強行突破した。リュックサックの中は金魚が泳げるほどになっていた。

雨は降り続いた。着の身着のまま自己体温で服を乾燥させるしかなかった。翌朝プノンペンに旅立った。プノンペンもやはり雨ばかり続いていた。

結局風邪に罹りついでに胸部全体に田虫をもらってしまった。


国境の田舎町。どこの国でも純粋素朴で人当たりのよい人々がすんでいるのが相場であるのだろう?この町も相場どおり素朴な人々であった。ただイミグレーションにたむろうバイタクのしつこさには閉口してしまっただけのこであった。



この町はほとんど舗装工事は施されてはいなかった。また町らしいなにもなかった。ただ中心部にロータリーがあり、みすぼらしいマーケットが一つあるだけだった。

この町は赤土であった。その赤土の地道を適当に散歩していると、どこからともなく。「ハロー、ハロー」と人懐こい声で子供たちが声をかけてくれる。



天秤棒の少女たちであった。ベトナムの天秤棒女のような、よくいえば勤勉、わるくいえばしつこさはなかった。この国の人々は子供という例外をのぞいて、写真を他人に撮られると魂を吸い取られると考えているのでは?と思うくらいにカメラの前では消極的であった。





つづく赤土を歩いていた。祠が目に付いた。その時ある書物の文書を思い出した。負けるは仏、勝ちは鬼。そう言えば、悲しいポルポト政権の時虐殺された人々は、静かに自分の殺される順番を待っていたらしいが、信仰心からそのような選択を選んだに違いないと思った。







両替屋の看板娘であった。商い中は強かな強敵であった。



ココンゲストハウスの従業員。このGHのオーナーはタイ人。彼女はカンボジア人だがタイ語が話せた。シアーヌク行きの船着場のすぐ真向かいに位置してた。ベランダからは川が見渡せハンモックのサービスもあった。木造造りの建物は涼しく人に優しかった。









この橋を渡ればそこはもう文明社会であった。こちら側に来た時できれば永久的にあちら側には行きたくないと思った。その昔ならあちら側は天使の住む都であった。諸行無常だなと思ったら悲しくなってきた。