カンボジア>1>2>3>4>5>6>退屈な日々7 |
エエエエエエ お嬢さん連れててほしいって。今から行く所は、女が行ってもつまらないと思うけどね。ただ人里離れた郊外の静かな村に涼みに行くだけなんだどね。コーヒ飲みに行くだけだよ。 ここからバスで行くんだよ。エアコンつきだから快適だよ。2000リエルだよ トンレサップ川を遡上していくんだよ。 交通量も少なくてのどかでしょう さあついたよ。降りようか。夕暮れ時までアイスコーヒー飲んで涼んでいこうね さあそろそろ帰らないと、日没までにホテルに戻れなくなるから帰りはリヤカーで行こうね。 俺がなぜこんな人里離れた村まで来るのか説明してあげるね。 小旅行 約3畳一間分の空間スペースしかないゲストハウスの部屋に日中じーと篭城を続けるのは過酷である。 ただ寝転がっているだけでも、じわーと汗が噴出してくる。そのたびにバスルームに駆け込み冷水で水浴びをする。 日に5〜6回はかるく水を浴びてしまう。水浴びを終えたほんの数分だけ心地よい気分にしたれるのだが、やがて不快指数100パーセントを軽く超える。だれ が呼んだのか。日に10ドルもする高級ホテルに延々といつづけているとても裕福なある旅人が、ねずみ小屋と命名してくれた。 そのねずみ小屋の残暑からまるで逃亡をはかるかのように、私は頻繁に日帰りの遠出を繰り返す。ねずみ小屋周辺の何時もの縄張りで、何時もの時間に、何時もの顔見知りであるバイタクに乗り、日カン友好の証により作られた、日本橋まで行く。 その運転手には行き先も、値段交渉も、なにも言葉さえ交わさない。目と目で暗示のルールにのっとり、後ろに座る。彼は無言のまま何時もの日本橋まで私を運 んでくれる。到着すると私も無言のまま暗示のルールに従い1000リエルを支払う。彼もまた無言のまま1000リエルを受け取り、無言のまま、何時もの縄 張りに帰って行く。 ここからの行き先は、地名も住所も知らない。また知ろうとも思わない。人里はなれた名もない、何もない、何時ものある村だ。 そのある村までは何時もの交通手段である、リヤカーで行く。日本橋付近で何台ものリヤカーが客待ちをしている。ある運転手は客で満員になるまで、何十分間 でもひたすらに客を待たせる。またある運転手は乗客が、二人も乗り込めばすぐにでも走り出し、流しながら乗客を拾って行く。だからここから先は、何時もの 運転手などは存在しない。何台もの客待ちリヤカーを日陰で観察しながら一番最初に出発しかけた運転手のリヤカーに飛び乗るのだ。 ここ日本橋がリヤカー路線の始発であり、終点である。ここからうどん発祥の地である、ウドンが終着駅になる。そこまでたどり着いた運転手はまたここまで、Uターンして帰ってくる。 その何時もの村までは500リエルの料金だ。このリヤカーでは外国人であってもぼられたという話を聞いたことがない。初乗りが200リエルからである。そ こから先は距離により相場で決められる。何時もの村までは距離にして12〜3キロといったところで、時間にして40〜50分くらいである。客を降ろしては 拾いながら遠足が続く。運が悪けりゃ、乗り込んできた客が、大量の荷物を積み込む。ある乗客は鶏、山羊、豚など、何匹も、何頭もの生き物を乗せ込む。また ある乗客は椅子、机、中古のテレビから家財道具一式までも自分とともに乗せる。こうなると何十分と、炎天下の中を出発するまで待たねばならない。ある運転 手は途中通り沿いの雑貨やで給油をはじめる。1.8リットルのコーラの瓶に毒々しい色のガソリンが炎天下の中、タバコを陳列したガラスケースの上に何本も 置かれている。この国ではタバコをばら売りもしている。ばら買いの客がその場で吸えるようにとライターも一緒に並べてある。そしてばら買いの客がそこでタ バコに火を点ける。炎天下の中、タンクのキャップを運転手がタバコを吸いながら開ける、すると雑貨屋の亭主がこれまた、タバコを吸いながら、ガソリンの 入っているコーラの瓶を手に持ちガソリンを注ぐ。とてもなごやかな光景である。 リヤカーを引っ張っているオートバイは中国製である。125CCのエンジンでタンクに「公安」と書かれている。中国治安当局からの払い下げに違いない。そ れに台車を繋げ、満員御礼で約40人くらいの人を運ぶ。これでは空冷エンジンがすぐに焼け付いてしまう。その対策としてエンジン横にポリタンクが備え付け られ、細いビニールの管が垂れ下がっている。ポリタンクの中の水が、管か らエンジンに垂れ落ちる特設水冷エンジンである。ポリタンクの中の水は無くなる と、その場で運転手が、ポリバケツを取り外し、堤を下りてトレンサップ川まで水汲みに行く。 雨季の最中突然乗車中にスコールに見舞われることがある。気の利いた運転手はビニールのシートを取り出して乗客に手渡す。それを全員が頭から被り、屋根が 出来上がる。隙間から、水しぶきが入り込んでくる。そして全員がやがて水浸しになる。気の利かない運転手は自分だけが持参のカッパをはおり、乗客は自然の ままにまかせそのまま走り続ける。 なんだかんだと、車上で、ピクニック気分に浸っていると何時もの村に到着した。渋滞、排気ガス、公害なにもない何時もの村。とても心地よい風が吹いてくれ ている。村民もとても素朴で物静かである。何時もの茶屋でビールを飲みながら、田園風景を眺めながら、一時のねずみ小屋からの逃亡生活を楽しんでいる。 風流に浸っていると、あっというまに日が落ちてきた。この街道には街灯もなにもなく、暗闇が待ち受けているだけだ。日没までに日本橋まで戻らないと危険で ある。山賊がいつ出現してもおかしくもない。リヤカーに乗り込みなんとか、日没までに橋まで戻ってこれた。おや〜、彼はさすがに私の日課を熟知しているよ うだ。そこには先ほどここまで私を運んできてくれた、1000リエルの何時もの運転手が待っていてくれた。 お茶屋さん 頻繁に来ている、つい昨日も来ていた。人里はなれた何時ものある村の入り口だ。この村にはカンボジア人は残念ながら住んではいないようだ。この村の住人は ベトナム人であった。恐怖のポルポト政権はベトナムによって開放された。今のフンセン首相も親ベトナム派である。一昔前と違い現時代のベトナム人はこの国 で小さく、ひっそりと暮らしていかねばならない。くわしくは知らないがこの国の人たちは、この地に住むベトナム人に対してなんらかの恨みを持っているよう であった。市内ではベトナム人であることを隠し続けているように感じる。ベトナム人を名乗り生きていこうとすればこのような集落で、なにかに怯え、寄り添 いながら生きていかねばならないようにも見えた。 プノンペン市内に、きれいな水道水が近年、日本の援助により完成した。薬品の匂いがかなり鼻をつくが、見た目の透明度は日本に匹敵する。洗濯、水浴びが楽 しい日課となった。日本橋からウドンまでのこの街道に今水道の拡張工事と平行して、街道の拡張工事も行われている。街道の拡張工事の方は終着駅の途中にあ るこの村の周辺まで来ているが、水道の方は残念ながらこの村周辺にまで普及はしていない。工事は終わり水道水自体は来てはいるのだが、金銭的な問題で折り 合いがつかぬらしく、この村の住民が普通に使えるまではまだまだ遠い道のりのようである。水道の他電気代に関しても一般カンボジア人居住区に比べ5倍ほど の高値の設定になっているらしい。電力会社の請求書を見せてもらったことがあるが、驚いた。使用量の水増しではなく最初から1キロワットあたりの単価が高 いのであった。これはもう、市ぐるみ、国家ぐるみの、外国人の足元につけこんだ、ぼったくり商法である。一昔前の中国に、ベトナムに存在した外国人料金。 このような社会主義国の商習慣だけは、いまだこの国に受け継いでいるようであった。この村の人たちは生活用水に井戸水を利用している。このあたりは湿地帯 の沼地になっており、少し掘れば水は出るが、なにしろ汚い。茶色く濁った泥水であり、異様な匂いが鼻につく。泥を豊富に含んでおり、水浴びをした後蒸発し て残った泥が体に付着したままザラザラ感を感じる。洗濯された衣服も白物などは見ているとなんだか濁り色に見えてくる。歯磨きをした後この水で口もゆす ぐ。最初はかなりの抵抗感があり気合がいる。ゆすいだ後、口内がざらざらした感じだ。 村内は舗装されておらず、スコールに襲われれば地道は泥沼と化す。ズボンのすそをあげながらゴムぞうりでゆっくりと歩く。10歩もあるけば、泥はねで足、 尻、背中など真っ黒になっている。何回洗濯をしても、二度と元の色に戻ることはない。また、足に傷でもあれば、免疫のない日本人はつぎの日ハムのように足 が膨れ上がっていることだろう。 雨季この村ではデング熱が頻繁に発生するようである。泥地の水溜りは乾燥することはなく、蚊の産んだ卵がつぎからつぎへと孵化して行く。また雨水を溜め込むための水瓶の蓋がそのまま開けられたままでもあり、ボウフラが大量発生する。 何時もこの村の行きつけの茶屋でビールを飲んでいる。プノンペンという大都会の人ごみと公害から開放され吹き付ける風が心地よい。 あまやどり 何時だったか、何時もの村に行く途中リヤカーでのことだが、街道を走っている途中にとてつもないスコールに見舞われた。乗客はみなずぶ濡れになりながら必 死で耐えていた。運転手も必死で走ってい。が私は耐えきれなくなり、リヤカーを強引に止めた。ちょうど運良く南国の高床式住居のまん前であったらしい。床 の下には少女がいて、こっちで休んでいけと手招きしてくれた。行こうとすると運転手が、ここまでの乗車賃を払えとわめきたてた。村までは500リエルだ が、途中下車をしてまた乗り継ぐと目的地に行くのは割高になってしまう危険が潜んでいたので、支払いを拒否して床下にすべりこんだ。他の乗客があきらめた 様子でみな床下におりてきた。運転手もしぶしぶとエンジンをとめて雨がやむのを待つことにした。 ここの家庭はホンダからのライセンスを取得して生産をしている韓国製のスーパーカブDream、たくさんの大きな素焼きの水瓶、ハンモック、15畳くらい はあろう大きな高床式住居、そしてその広大な床下の庭、カラーテレビ、そして5人の子宝に恵まれ平日の昼間から家族団らんで和みの生活をしていた。この界 隈ではかなり裕福層に属している。 もう1時間近くが経過していた。雨は小ぶりになりかけたかと思うとまた激しくふりだしてくる。その繰り返しであった。乗客、運転手は私にそらみたこと か、、お前のおかげで目的地までいまだたどり着けない、、最初から走りつづけていればとうの昔にたどり着いていたはずの目的地、、俺たちは最初からこの雨 がふりやまないことはわかっていたんだよ、、だからとまらず走りつづけたんだよといいたそうな顔で私を見つめていた。 その日は偶然にもデジカメを持ってきていた。やることまなく、少女にデジカメを向けシャッターを切った。運転手の時計を覗くとそろそろ午後3時になろうと していた。さすがに焦りを感じだした、日没までにここからさらに先まで行き、再び日本橋まで引き返さねばならない。 時間が気になっていた。その時背伸びすれば届きそうなところまでおりてきていた灰色の雲のところどころに切れ間が見えはじめ青い空とひ弱な南国の日差しが覗きはじめていた。 運転手がむごんのままバイクにまたがりエンジンをかけようとしていた。乗客もリヤカーの席につきはじめた。私に全員が早く乗りこめと目で合図していた。 その時これから先向かおうとしていた逆方向から、乗客一人乗っていないリヤカーが走ってきた。私はとっさのうちに、無意識にそのリヤカーをとめていた。そ してみなを巻きこんでしまい今再び目的地に向かおうとしているその運転手の濡れた胸ポケットに300リエルを押しこむと、だれも乗っていない日本橋行きの リヤカーに乗りこみ今までともにしていた乗客と運転手に別れを告げた。その運転手は胸ポケットから押付けられた300リエルを数えながら、少し不服そうな 顔つきで私を見つめていた。乗客はあきれ果てた顔をしていた。 帰ってこれたよ。無事でよかった、よかった。喉渇いたからかるく缶ビール飲んでいこうか アサヒスーパードライ2缶ね。すごいでしょう。こんなプノンペンの場末の雑貨屋で、スーパードライが飲めるんだよ。タイの工場で生産したやつね。 1缶1700リエルだよ。 サイゴンからバスが着いたよ。今日はあんまり人いないね。 美味かった。それではカンボジア鍋でも食べに行きますか。 ウンイキタイイキタイ連れていってね。 |
鍋食いにいくぞ |